オリンピックに限らず、スポーツは参加することに意義はある。 確かに、確かにそうかも知れない。 しかし、それはアマチュアに限る。 思うのですが、スポーツの目標とは勝つことではないか。 そして目的は、アマチュアなら参加することや楽しむことで許されるが、プロは違う、そうはいかない。 プロは、自分のプレイに対価が支払われる以上、目的は勝利、或いは、それと同等に観客を楽しませるかでなくてはならない。

目的と目標の取り違いをしてはいけないと思うのです。 アマチュアの場合、全ての主体が自分の満足であり、ひたすら自分が楽しみ競技することにある。 勿論勝ちに拘りたければそうすればよいが、勝っても負けても外野からとやかく言われる筋合いは、本来ない。 オリンピックであろうが草野球であろうが、自分が思いっ切り楽しめ、満足できれば、結果として負けても相手を称えたり、お酒を飲みながら話せたりできる。 目標が勝利である以上は、たかが遊びなんだから負けてもいいというのとは違うが、アマチュアならこれで構わない。

ではプロはどうだろう。 スポーツに限らないが、プロは、お金を稼ぐことと、お金を出した顧客の満足が必須、主体が自分であるのには違いないが、自分と顧客の両方の満足と納得が問われる。 その意味においても、勝敗への拘り、勝利への目的意識がなければプロとは呼べない。 お金を出す価値というのか、出したいほどの満足とは何だろう。

例えば、欲しいものが習得できたり、自分の舌が唸るほど美味しい料理を味わえる というような満足。 格闘技など、自分ではできないが、ド迫力だったり凄い技だったりの、魅了させられる感動パフォーマンスプレイ。 マジシャンやアーチストの作品もそう。 球団のファンやサポーターのように、自分と同一視することで味わえる満足。 小説家や演者もそう。 そして広告塔にしたい、企業などからのスポンサー契約。 こう見ても当然ながらプロの目的は勝つこと、極めることになってくるし、全力を出し切れば勝敗に拘らないという態度ではプロ失格だろう。 プロとアマチュアでは目的意識が違う。

それを取り違えなければ、自分がどちら側なのか、自分がどうしたいのかが解り易くなる。 スポーツに限らず、勝ちたくなければ、或いは顧客の満足を考えたくなければアマチュアでいればいい。 しかし、プロでいたければ、より深い追求心は必要となってくるし、それに責任を持つ以上、明確さが要求される。 その上でユーザーを選択・選別はあっていい。 それは自分の自信に対する覚悟である。

だからこそユーザー側ももっともっと選んでいく必要がある。 食堂で食べたラーメンが不味くても、お腹に入ってしまった以上、たいがいお金は支払われる。 当たるもはっけ当たらぬもはっけの占いでは、何が出ても、たいがい怒らず支払いをする。 病院やカウンセリングも然りである。 プロ相手にするには、どちら側にも選択の自由があっていいし、どちら側にも責任を持つ必要もあると思うのです。 期待に添えなければブーイングや、場合によっては訴訟も起きることもあり。

だからといって、アマチュア相手に、タダほど高いものはないということもあります。 それから、プロ・アマの意識というのは、正社員と契約社員とか、正社員とアルバイトとかの契約形態の違いではない。 正社員だろうが契約社員だろうがアルバイトだろうが、その職に向かう意識、モチベーションのこと。 そういう意味では、だらだらやってる正社員と責任感のあるアルバイトでは、プロ意識がどちらにあるかはお解かりでしょう。 だから、プロ・アマが一緒では、どちらかに不満がでる、 それも当然のことですね。