豊洲移転問題の中でも飛び交う言葉…安全と安心。どちらにも絶対はないのかも知れないですが…。ここで言う安全には基準値なるものがあり、その基になるものは化学だったりするという。じゃあ、安心は?

…昨夜のテレビ番組で、「安心には歴史が必要」とおっしゃっていた方がいました。そうですね。安心は、経験値の中から創られるもの。そしてそれは、人と人との関係を通して得られるものなんじゃないかと思います。

マザーアースの基本姿勢の中でも「安心感」という言葉を綴っておりますが、立派な家や尽きない食料・財力は、安定した生活を送るのに大切なものでしょう。しかし、それらがどんなにあったとしても、そこに暮らす人々が安心するには、そこにいる人々同士が互いに理解し合い尊重し合い、支え合え合う延長にあるのだと思うのです。

ある程度の生活レベルがあっても、家族の歴史の中で、人と人、親と子が、自分のままでいることを認められなければ、社会の中での自己の確立は難しく、対人に不安や問題が起きやすいでしょう。

豊洲移転問題について話を戻せば、搾取しあい誤魔化しあい隠しあうのではなく、それをオープンにすることからでなければ、安全も安心も、見えてこないのではないでしょうか。

「安全」にも「安心」にも絶対はない。だけれども、自分の考えや気持ちを暖かく受け入れられ育まれた人には、自分を信じ生きて行ける「生きる力」が備わり、問題や困難にも毅然と真摯に立ち向かえる。そういう人の作る家族や仕事、創作物に安心と安全はあるのではないのでしょうか。