通常カウンセリングの原則は受容だ共感だと言われる。 そりゃ最もな当然のことです。 だけど、「それが気になってるんだね、心配だね」と受容し 不安を受け止めたところでなんにも変わりゃあしない。だいたい、他人が受け止められるような不安ではない、まして受け止めれば増幅し傾倒していく。 カウンセリングは、『本当のことを明らかにしていく』作業です。

ですから、不安や恐怖をただ事実として、その中に自分が入れるかどうか。 どん詰まりから逃げることをやめ、自分の前に立てるかどうか。 不利なことを否認したり、自分自身をも誤魔化してきた段階から過ぎて、言ってみれば、自分から逃げられないと気づきはじめることが第一歩です。 当然カウンセラーが一喜一憂してるようではお話になりませんがね。

例えば、親や恋人に対して、「自分は愛されているのか?」という疑念から逃れるためには、「自分が悪いから辛い目に合わされる」と思い込むようになる。 相手の本心から目をそむけ自分さえ変われば、もっと自分を愛してくれると思い込む。 しかし、「親(彼)も苦しいんだ」「自分のためにしてるんだ」くらいな誤魔化しは出来ても、根本的な「自分は愛されているのか?」の不安は消えず、渇望が見捨てられ不安となってしまう。

こういう積み重ねで疑念を無意識に追いやり、「本当のことは聞かない」という認知パターンを作り上げ、自分を押し込めてしまう。 相手の態度や表情などの不確かな情報から推し量り、相手の喜びに貢献し、そこに自分を重ね、究極のファンタジーを作り上げる。 親が自分自身に手一杯で子供に関心などなく、感情のはけ口や八つ当たりをしていることを受け入れられる筈はないですから。

相手から必要とされることの必要性の獲得に必死になるも、本当に欲しいものはそこにないから、埋まる筈はありません。 こうして誰に対しても同じようなパターンで対応することになります。 事実を知っていくには、当時の事実関係を現在の自分のアタマで整理しなおすことで、解っていきやすい。 自分が悪いんだという「思い込み」と、「自分の問題と人の問題の区別」がつくと、当時の場面場面での認知のズレに気づかされ、事実とそれに付随する気持ちが湧き上がってくる。

事実を理解し、その時々の感情を吐き出しながら認知を正す。と同時に事実に対しての感情なり感覚をはめていくことで納得しやすい。 愛されることを、必要とされることにすり替え、その為に行動する。 そして、必要とされたくてやっていた自分の行動が、実は、相手こそ必要とされたくて自分に仕掛けられていたということが、ようやく理解できるようになる。

人は人に必要とされたいし、誰かの必要でありたい。それは何にも悪くない、 しかしこの場合、自分の必要性の為に「利用」し、相手からも「利用」されていることに気づいていない。そこに問題が生じる。 このような、愛されているのか?という疑念でなくとも、親の価値観の押し付けや刷り込みが日常無意識的に行なわれると、自分の認知や言動に自信をなくし息苦しくなることはある。

この辺りまでの流れは、今までも書いていることですし、書籍やAC(アダルトチルドレン)を使って当てはめても、解りやすいのではないかと思う。 アタマで認知を正しく理解することで客観的に捉えられ、事実は事実ということと、私は私ということが納得しやすくなります。 もしカウンセリングを受けるなら、少なくとも、しっかりとした傾聴と正確な説明の出来るカウンセラーの基でなさって下さい。

ただ、これ、字面で書くような生易しいものではありませんが、 それらをきちんと理解していく毎に、当時の気持ちが溢れ出し、その奥にある原点に触れてきます。 そうしていよいよ、それを大事にそして毅然と扱っていく。 すると、準備が整うごとに、奥に控えていた自分が、いよいよ顔を出し始めます。 事情が解ってくると、疑問も新たに出てくる。 「なぜ自分は、そのような選択をしたのだろうか?」 「自分の目的と理由はなにか?」 「自分を見張り、抑え続けてまで、隠したかったもの、守りたかったものは何か?」 ここからがカウンセリングの心髄。 自分の奥に住むヤツとの対話です。

いよいよ自分と向き合う段階では、自分の感覚が一切の主導権を握り、アタマの会話よりココロの会話へと重点が移っていきます。 なにも自分だって、やすやすと親や誰かの言うとおりにしたかった訳じゃなく、そこでは相当な怒りやら強烈な嫉妬や憎悪が渦巻いていたり、意地や欲もある。 思い出したくもないイヤ~な感覚をも体感していく訳ですから、アタマを使っているうちはおっかなくて出来ない。 生の反応に批判のないことが、安心して感覚に委ねることを許していきます。

1つの気持ちの意味が解って、ほっとして、しみじみ感じなおして、もう一度納得して、愛おしさと安堵の繰り返し。 封鎖し続けた原点に辿りつくまで、生きてる自分が、まさにここにいると確信するまで。 人間、子供であろうと、その時の自分がその状況下でちゃんと決断してきています。自分の判断をしています。 仕方なくではなく、自分の為の意味・理由によって、行動を選択しています。 自分が自分を知るということは、自分の中に潜む自分の本質に触れ、深く理解し納得し、自分が自分とともにいるということだけで安心して生きれることです。