虐待 ~保護を求めて~(3)

7 認めた

認めた…対面に座っている彼が、私の顔を見る。まるで宝くじを当てたような、初めて見せる勝利の笑み。 …やったー !!これで、児童相談所に認めさすことができるぞ !! 父親は、さも、自分は知らなかったということを協調しながら、 書かれていること全てを、事実として認め始めた。 それから、自分のことは棚上げにして、くどくどと言い訳しながら、 事もあろうに、実は自分も困っているんだ ってなことを 話し始めた。

「虐待は事実なんだけど、この子も頑固だから…」 いやいや、そんな話はどうでもいい。 「お父さん、事実なんですね。そうであるなら、この書面に 今日の日付とサインお願いします!」 …と、いとも簡単に父親はサインをした。 だからといって、反省しているとか、悔い改めようとしているようではない。 単に、この場を切り抜けようとする、幼稚で、だけど強固でしぶとい表情。 自分だけの保身の為には、家族の誰をも売ることができる人間に見える。

で、更に話し合いは続いた。 父親も子供に手を焼いているというよりは、全く関心は無いよう。 結局、明後日に、再度2人で地元の児童相談所へ行くことを決めるとともに、 それまで、彼は家には戻らず、 どこか家の近くのホテルなどに泊まることを決めた。 …と言っても、どこまで真実味があるのか ってところですがね…

これから父子2人で、地元へ帰る。 明後日、児童相談所へ行くまで、 彼は一人で家の近くのホテルに泊まることになった。 家には戻らないという頑なな彼の意思はあれど、 それを許可した父親の選択は、彼に対する興味・関心の無さと、 それから、私達に対しての体裁というかポーズに見て取れた。 2人になったら、こんなもんじゃあないだろうな… 私達は内心そう思った。

彼は、父親と2人で車に乗ることに恐怖を感じたが、そうも言っていられない。 しのばせているボイスレコーダーをお守りに、親子は警察署を後にした。 …何はともあれ、 親が事実を認めたことと、親に対峙できたこと、 少なくともこれが今回の収穫。 何より大事なのは、彼が本気で行動を起こした(家を出た)ことによって、 初めての理解者(私達カウンセラーと警察署のお巡りさん)に出会えたこと。 しかし、やはり自分を導けるのは自分しかいないと思い知らされた彼の、 さらなる戦いはここからなのである。

…家族という密室の世界に戻されれば、どんなことになるのか、 それを一番肌に叩き込まれているのは彼自身。 家族という同じ流れの中に身を任せるのか、 その流れに抗い、戦うのか、 或いは脱出するのか。 それを突き動かすのは、自分の根底の思いのみ。 まだまだ思い残しがあるならば、動くことはできない…

8 戻ってから

「このままでは殺るか殺られるのか、になる。」  彼は当初、そうも話していた。 彼が地元へ戻って、3日目、ようやく親子は児童相談所へ行くことができた。 児童相談所の相談というものには相談日が決められていて、 飛び込んですぐにできるものではない。 まして、多くの場合、それを受理するかどうかを、 それから内部で審議されるのだから、 受理されるかどうか、その場で決まるのではないのだ。

何度も言うが、明らかな身体的暴力の証拠でもない限り、 受理されるのは難しい。 子供を引き離された親から訴えられた場合、相談所が親の親権に 勝てるケースも少ないから、…というよりは、 相談所が親から訴えられたくないんだろうね。

さて、児童相談所での対応は、少なからず以前よりはマシだったようだ。 私は、彼らが到着する前に、ここ数日の経緯と 父親のサイン入りの虐待の事実を書いた文章のコピー(原本は彼が所持)と、 児童相談所に対する私の私見と要望を送っておいた。 (これについて、相談所からの返信はいまだにないが。) 結論から言うと、虐待は認められ、シェルターへの入所が受理された。 が、ここでも、今すぐに入れるのではなく、明日以降 だそうだ… そして、結局…彼はそこへ入る決断をしないのであった。

彼は何故、シェルターに入ることを拒否したのか。 入所に当たり、携帯を預けなければならないことと、 門限があり行動が規制されること。 …彼はそれらを挙げていた。 しかし、何も規則が嫌なのでも我侭なのでもない。 彼には、それらに規制されることで、 親と同じような支配を味わうのではないかという不安があるのだ。 一度信頼を失っている相談所との会話には、 身を任せるだけの安心感は持てなかった。

彼は、地元に戻ってからも、数少ない親族に自分をしばらくの間 置いてくれるよう懇願している。 しかしながら、何やかんや理由を付けられ拒絶されている。 児童相談所での対話後、彼は家に戻るしかなくなった。 元の木阿弥な感じでもあるが、それが彼の今なすべき選択なのであった。

兎に角、彼にとって、働き口を見つけることが優先課題となった。 しかし、何でもやる!という意気込みはあれど、 体力のなさと、メンタル的な不安を抱えたままで、何ができるのだろう。 仕方ない、先ずはアルバイトから、そう考えても、思うようにはいかない。 年齢の壁もあり、初めの意気込みは影を潜めていくばかり。

『自立したい、自分の人生を自分でこしらえたい』 という気持ちの裏側に、 『寂しい』 という気持ちの渦があるのも、 彼にとっては大きな誤算だった。 …どうやら今の彼には、 家を出て一人で生きていく選択をするには、時期尚早のよう。 つまり、家族との間での遣り残しを済ませなければ、 終われないし始まれないようであった。

父と母、それから兄妹達。 彼にとって、彼のやり方での家族との対峙。 それは、前にもまして、過酷な状況下での戦いとなるであろう。 私達も、選択の一つになればとの思いから、 彼の境遇を全て承知した上で引き受けてくれる住み込み先をやっと探し、 提案もした。 しかし彼は、首を縦には振らなかった。 強く激しい彼の意思、家族への執着は、どこへ向かっていくのだろう…

9 これから

彼とのお付き合いも、ひと区切りのとき。 自分の住む町から出たことのない彼が行動を決意した時から、 一ヶ月余りの時間が過ぎていた。 今回の一連の行動は、彼にとって、 『結局、誰も僕を助けられない』 ということと、 『自分はまだ動けない』 ということを確認する旅となった。彼は、自分の気持ちがまだ外に向いていない。 おそらくは、自分が気の済むまで引きこもり、 家族と対峙していくことになるのであろう。

彼の父親とは、沼津を去ってから一度だけ話をしている。 沼津に来たとき、カウンセリング料金の一部を頂けたのだが、 その時点での話とは裏腹に、 私達と彼との関係を切る要請と、支払いは子供に貰ってくれとまで言う、 一方的な怒号にも似た電話での会話だった。

推測はしていたものの、無責任極まりない ヤな奴! だからと言って、彼を家族から引き離すことは、何の解決にもならない。 また、私達カウンセラーが、これ以上領分を越えてすることで、 彼の役に立つことはない。 いつの日か必要があれば、また会おう。 生きていくことの意味、それを自分で掴んでこそ、自分の人生が始まれる。

今回、彼の日常を描くことを承諾してくれた彼が、 彼自身の言葉で語りだすまで、このブログは、ここまでにしよう。 今回私達が関わった、児童相談所、警察、そして彼とその父親。 どの人をとっても、自分を中心に世界が動いている。 虐待をする親が悪いと言えばそれまで。 だが、 虐待を受ける子供には、その親にとって、その子に虐待をしたくなる、 しないではいられなくなるほど反応させられる何かがある。 そこまで傷つけあってしまいたくなるほどの、 互いに深い縁を持ったもの同士であることに間違いはない。 そこには、法律などでは太刀打ちできない、 当人同士でなければ解けない何かがある。

カウンセリングを必要とするなら、それは先ず親の方であるが、 その必要性を親が意識してからでは遅すぎる。 虐待に介入できる既存のシステムも、建て前が多すぎて無能。 大事なのは、 建て前と立場を度外視して、個人の責任で踏み込めるかどうか。 身体を張って守る という姿勢が子供に伝わることが大事。 そうして守られた経験が、今後の、その子供の支えとなる。

人間の持つ残忍性が平気で現れる家庭という密室。 ほら、お宅にもあるんじゃないですかい…?

おわり