人がして欲しいことというのは、実際のところ、聞いてみなければ解りはしない。 「気が利く」とは、何も言わなくても相手の欲求を察知してサービスできることなんでしょうが、 実際にその相手がどう思うかなんて推測に過ぎない。

相手のことを自分勝手に推し量って便宜を図るのは、 場合によっては迷惑な行為だってある。 だから気を利かせて何かをしても、それをどう取られようと相手の勝手なのです。

例えば、コンビニでガム1つを買って袋に入れてもらったとする。 その行為を当然と思うか、マニュアルバカの押し売りと映るかは人それぞれですが、 この場合、袋はいりますか?と聞いてくれるほうが、 よほど気が利いていると思う。

最近では、箸の いる?いらない?は聞かれるようになりましたが、気が利いていると感じないのは、 それがマニュアルだろうということが解るからだ。 まぁ個人的には、店員さんが気を利かせようとする必要もないと思うのは、マニュアルがあるのだし、袋がいらなければいらない方が言えばいいと思うので。

そしてまた、 そもそもマニュアルとは客の為ではなく、店・スタッフの為にある。 だから、マニュアルにだけ忠実なマニュアル人間がロボットに見えてしまうのです。 

この例に限らず思うのは、相手のことを慮(おもんばか)りたければ、 相手の意思を先ずは確認してほしいのです。 そのほうが、よっぽど気が利いたサービス精神だと感じるのです。 また、電車内で座席を譲る行為について。 しんどそうな人やシルバーシートの前にいる高齢者に席を譲らないのなら マナーがあるとは思えませんが、 マナーを遵守し気を利かせても、相手がどう思うかは解らない。

譲ろうとする本人、譲られる人、それから周囲の人の取り方なんてそれぞれ。 譲って欲しければ一言言うことも、必要だと思う。 こう言うと相手のことが考えられないと叱られそうですが、 マナーの前に意思表示、言えなければ言えない自分に責任を持つ、 それが出来ない人がマナー語ってはいけない。 そもそも、何も言わないで何もしてくれないと怒るのは可笑しい。 ただ単に 相手に解れ では、自分勝手でしょう。

人はそんなにあなたを見ていない。 そして、勝手に何かするのは善意の押し付けです。 してもらって当たり前という感覚は、立場を嵩(かさ)にきた傲慢です。 サービスを提示する方も、要求する方も先ずは自分の意思確認が先決。 気を利かせるなら、相手の意思確認が大事。 いずれにしても、へりくだりは要らない。

気を配ることと、相手に気を利かせるということは違います。 気を配るというのは、相手にも自分と同じような気遣いをすること、 しかし相手の気持ちを察っすることができたとしても、相手の気持ち優先にしてあげることではなく、 配慮しているという自分の気持ちの提示が必要なだけ。もしも それを行動に移し相手に喜ばれれば、気が利いたことにもなりますが、 その判断(喜ぶかどうか)は、相手に委ねられるものでしょう。

 世の中、それでも自由度は加速しているように感じます。 人の思っていることが多様化しているのだから、どう思うか、どう取るかはまちまち。でも、 その人の価値観で善いと思っていることを、みんなが善いと思っているとは限りません。 だから言葉に惑わされず、自分がどうしたいのか、どうされたいのかを知り、 主体性を持つことが重要です。配慮・マナーなどの言葉は正しく理解し、 人や言葉に振り回されない、振り回さない自分を手に入れてください。