IMG_0467春はお好きですか?変温動物の私にとってはあったかい季節の到来が何よりの心地よさではありますが、そういう五感での体感よりも、何となく気持ちがザワザワする、と感じられる方もいらっしゃるでしょう。これこそがまさに第六感と第七感にまつわる感覚です。今回は、これまでの私のブログの中でも好評で、今でもアクセスのある五感…そして第六感・第七感・第八感に続く記事を書いてみたいと思いす。(五感…そして第六感・・の記事はホームページ内の哲学の部屋にも掲載しました。)

さて、春の到来にあったかいなぁ~きれいだなぁ~またはいい香りだなぁ~などそういう、目や鼻や触感は人間の五感によるものです。が、そういう春に連想されるものが脳(知覚)の中で広がった途端、その五感の奥にある未昇華の気持ちがうずくことがあります。

例えば、沈丁花の香り(五感)で春先に起こった昔の寂しい気持ち(心覚・第七感)を思い出しなんか嫌だな(第六感)というインスピレーションを起こす。入学式帰りの親子連れを見て(五感)当時の不安な気持ち(第七感)や、みんなと違う感覚(第七感)の自分を思い出し、心がすごくザワザワ(第六感)として落ち着かなくなる。春を感じると同時に蘇る、なんかやだな…と感じる気持ち。それらは、第七感に刻まれたまだ癒えぬ大事な想いなのでしょうね。

さて、第七感とは、前にも書きましたが心の感覚のことです。仏教で言うところの未那職(マナシキ)であり無意識の領域に入るのですが、自分だけの感覚の全部がここにあるのです。今回も食をテーマにもう少し詳しく書いてみますね。

例えば、昔の食卓での様子が、小言やいさかいばかりで雰囲気が悪ければ、その食事が不味くなるばかりか食に対する興味すらなくなっていくのです。食するという五感の前に、それを味わうための気持ちよさが奪われているからです。 つまり、第七感で感じる不快な気持ちが、五感を鈍らせるのです。心配事があったとき、食は進まないばかりか、胃に穴があいたり頭にハゲができたりします。このように第七感での違和感は心と身体にも影響を及ぼします。

そしてまた、寂しさや怒りなどの満たされない気持ちがあるとき、多くの人はそれを埋めようとその代替を考え、バランスを取ろうとします。飲酒やカラオケ、パチンコや買い物などで不快感を快感に塗り替えようとします。ですが積もり積もった思いがあるほど、五感での快感だけではどうにもならずアディクションを深めるだけ。つまりは第七感の領域にある本当の気持ちに聴きに行かなければ収まらないのです。

第七感の領域では、第八感にある善悪のない全ての感情と違い、「ただひたすらに自分を愛して病まないがために苦悩し続ける心」とでもいいましょうか、煩悩(ぼんのう)の根源があります。それは生まれながらに持ち合わせている阿頼耶識(アラヤシキ・第八感)の上で、生後、形成された自我執着心なのです。

ですから私たちそれぞれの心とは、この第七感(未那職)が牛耳っています。牛耳るとは乱暴な言い方でしょうか、それぞれがみんな自分大事と思う、当たり前の気持ちです。ほら、集合写真や座席表を見るとき、おそらくみんな、自分を探すことから始めるでしょう。それです。そういう「先ずは自分」という意志であり、みんなにそれがあるのです。

また、その意志を受け取るアンテナに当たるのが第六感です。「ん?」と感じる意識、「なんか変だぞ!」と感じる直感です。そこでは必ずあなたの第七感が「自分にとって必要あり」と働いているのです。

人間て凄いですよ。生まれてから全てのデータが集積されていて、自分の都合によりそれが引っ張り出される。あれ?全て都合悪くなったら認知症になるんですかね。またそんなこというと、こっぴどく怒られますね…くわばらくわばら…こん辺でおしまい。