引きこもりの人のいる家庭の中で、その家族の人達が勘違いしていることの多くは、 彼・彼女達にとって外に出られないのは、 労働が嫌だとか労働が続かないとかそういうことではなく、 「人が怖い」ということ。 それは、彼・彼女達が怠け者ということではなく弱いということでもなく、 人との関わりにおいてあまりにも『自分』が引っ込んでしまっている為に、『自分』を出すことができずいるということ。

自分が引っ込んでしまっていて自分がどうしたいのかとかが解らず、 ひたすら人がどうして欲しいのかとか、自分はどうするべきかなどの思考に終始してしまうので、とても疲れるしとてもしんどい。 自分がどうしたいのかが解らないということは自分に自信などもてず、怖くて何も出来なくなるのは当たり前。 そうなると何のために生きてるのかが解らなくなり、「何のために生きるのか?」という 迷路の中で、ひたすら篭(こも)ることしかできない生活になってしまうのです。

そうなってしまったのには、自分の気質とそれまでの家庭環境からの影響があるのだが、 多くの、いや殆どの親達には理解されない。 人が怖くて人と関わるのが苦しいということ、それは生きてるだけで生きてることが 難儀となることを解って欲しい。

「どうやって生きていくか?」つまり、食っていくにはどうしたらいいか? に必死な人の 辛さや苦しさは理解されても、「何のために生きるのか?」は理解されにくい。 確かにね、食えなければ生きていけないという事実、それは頷けることでもある。 でもね、食っていけても或いは贅沢に生活できても、それでも「何のために生きているのだろう?」という苦しみがあるということを 理解して欲しいですね。