人から必要とされたいという発想は、裏を返せば、 『自分の生きる根拠を世間に求める』という、いかにも甘ったれた依存的発想だ。 だがしかし、親からありのまんまの自分を認められた記憶のない人にとっては、 この発想が最小で最大の、自分の生きる証となりうる全てだ。 「必要」を正当化し、「必要」にぶら下がり、「必要」に執着し、 全ての言動がこれに終始する。

でもこの発想は時に、 『自分が他人の迷惑にならないようにする為ならどんなことでもする』 という危険を招く。 それはなんともナンセンスな、でも、どうしようもない、 正に暗闇を手探りで歩くような、不安で恐怖な世界だ。 しかしいくら頑張っても、最終的な必要証明証など取れるはずはない。 なぜならそれは、先に書いた『恐怖の土台』からの発想であり、 必要であり続けることでしか不安や恐怖から逃れられないという、エンドレスな、 無縁地獄の世界だからです。

また、必要とされたい相手が「世間」の人である以上、 少なくとも「世間並み」つまりは「世間的普通」でなくてはならない。 しかし、どうあがいても自分は普通にはなれない、普通ではいられない。 これが今までの苦しみだったのではないですか? じゃあどうしたらいいんだろう… って?

そこから脱するには、自分らしく、自分のまんまで生きる、「オリジナル宣言」をすること。  と、そう言えばカッコよさそうだが、実のところオリジナルとは、 世間にふたつとない 変わったものだと認めることでしかない。