生きてくことは暇つぶし、気づけば気づくほどそれでいいんだと思えてなりません。 人は誰もが自分だけの特別な人生を歩んでいます。 そして、その特別なシナリオの端々に‘錯覚’というスパイスを盛り込み、 その錯覚の意味に気づくことで、自分というものが、 まさに生きていることを実感しているように感じます。 時として錯覚には、深い悲しみや憎しみのドラマがあります。

しかしどれをとっても自作自演のドラマ、 その目的は、『今ここに自分が生きている』ということに気づくこと。 そんな、簡単で難しいパズルを解くために、 まるで暇つぶしのゲームをしているようでもあります。 しかしだからといって、誰もが、何にでも、その意味に気づく訳ではありません。 気づいたら詰まらないこともありますのでね。 生きてることは、ワクワク・ドキドキ・ハラハラの連続、 気づき始めるとすれば、それに飽きたころでしょうか。

気づきはおまけみたいなもの。なくてもいいがあると倍楽しめるようなもの。 そうすると、自分におきる体験が、偶然、必然でおきていて、 大いなるものに動かされている感覚を味わったり、 宇宙の法則・カラクリに触れたりします。

でたらめに起こっているように見える全ての事象が、 実は、一寸の狂いもなく絶妙に噛み合った必然であることに 納得させられるようでもあります。 まるで暇つぶしをしていたかのように、単純なカラクリに、 感動と落胆を一気に味わうようでもあります。

気づけば気づくほど、さらに自分の感覚に委ね、 さらに暇つぶしに生きてみようと思えるこの頃です。 暇つぶしを楽しむには、真剣にぐうたらすることかもしれませんね(笑)。