自分が相手から必要とされることを求め、その相手が自分を必要としていることを確認すると、その関係は、必然的に依存関係となりやすい。 例えば、ダメ男に献身的に尽くす女として象徴されるような、相手の自己責任をひたすら尻拭いすることで、相手のアディクションを重症化させているケース。 子供に自らの思考の習慣を身に付けさせず、威圧型なコントロールで不安を掻き立て、責任を義務にすり替えられたケース。

いずれも、互いの自己責任は宙に浮き、関係性は表面的。 しかし片方では、ただ相手を怒らせないことにビクビクして、ご機嫌を取り続けてしまうだけとなる。 そう、依存関係の中では、それぞれの責任が宇宙の彼方に丸投げされて、 行方不明になっている状態なのです。 この状態、どちら側の人にも、依存関係から逃れたくない理由がある。 自分の存在価値を相手に求める というか、 簡単に優しく言うと、‘さびしくてたまらない’。

これは、痛いですね、 とても解りますね。 それだもの、止められない。 さびしさが依存によって紛れるなら、ずうっとそうしてたいですからね。 自己責任?それどころじゃあないですよ。 自分が自分でいられなきゃ、責任など取れないですからね。

依存関係、でも、それは麻薬みたいなものです。 一時のやすらぎは、夢みたいなもの。 だから、冷めるのも早く、いつも不安がつきまとう。 相手に頼っているうちは、もちつもたれつ、やじろべえのように不安定だからね。 そのさびしさは自分のもの、だから自分が埋めてくほか、手立てはないんだよね。

だけどね、人間だもの、 頼らせてくれる相手は欲しいよね。 互いにそれをわかって、互いに見守り合えたらいいんじゃない。 互いにそれをわかって、自分のこととして、理解しあえたらいいと思うけどなあ。