「自分は必要か」という問いに答えを見つけようとするとき、 他人にその承認を求める人は多い。 つまり、人とつながれたり、関われたり、受け入れられたり、 認められたり、求められたり、 「自分が人に必要とされているかどうか」で自分の必要価値を見出そうとする。 それはごく自然な発想なんだけど、 その欲求があればあるほど、自分にとって都合のいい人を探してしまうものだ。

例えば頼りたそうな人、甘えたそうな人、困っていそうな人、そういう、 いかにも自分が役に立てそうな人を引き寄せる。 しかしその関係性では、多くの場合、いくら尽くしても満たされない。 必要とされっぱなし、使われっぱなし。 そりゃそうだ、承認を求める相手が違う そっちじゃないよ! 必要としてくれる人は、やってくれるあなただから必要なのであって やってくれることが当たり前なので 逆にやってくれなければあなたの価値が落ちるだけ。 出会いの瞬間から、お互いのスタンスが決まっていたからね。

「自分は必要か」 その答えを求めるとき、自分に無理をしていては、 いくらやっても落ち着きどころはない。 無理をしてまでも欲しいものであるに違いないが、問題は、 「無理をしてまでも相手に沿わなければ、自分には価値がない」 と 自分自身が思い込んでいることにある。 無理をしなければ必要とされない関係では、芯から落ち着ける安堵感はない。

これ、親との関係でそうだったではありませんか? 欲しいのは、ただそこに居るだけでいいという安心感。 無理などしなくても、無条件に受け入れられる安心感。 その手応えを掴むには、内なる自分に聴く他ない。