今、あなたは自分のフィールドに立っていますか? 自分のフィールドとは、
①自分が自然体でいられ、
②その中で自分の特性が無限に発揮でき、
③尚且つ安心感の持てるポジションにいられること  だと思う。

①、自然体というのは、リラックスしたいときにでき、 緊張したいときにできること。 この両方が自分に合わせてできること。 笑いたいときに笑え、泣きたいときに泣け、 悔しければそのまんま表現できること、 そして、ガチでぶつかることも出来ること。 つまり、自分があるがまんまでいられること。

したくない無理、したくない我慢などはもってのほか、 そういうのがあったら自然体ではいられないから。 ただし、敢えて無理する、敢えて我慢することはある。 悔しくて負けたくなくて勝ちたいときなどがそうでしょう、 苦しくても辛くてもやる、 という感覚ですかね。 歌っているとき、泳いでいるとき、パチンコしてるとき、 自分が自然体でいられたら、 それはあなたのフィールドかもしれません。 家の中でも、大事な人といるときでも、 自然体で居心地がいいと感じたら、 その関係は長続きするでしょうね。

②、自分の特性が無限に発揮できること。 先ず、自分の特性とは何か、そんなものは初めからわかる筈はない。 だから、とにかくとにかく、 面白いものやワクワクすることがあれば、方向はそっち。 それがゲームでも漫画でも、何でも、 そこに例外を設けてはいけない。 それに携わる時間が、自由で延び延びしていられること。 また、やってみて面白ければ続くけど、飽きることだってある、 その繰り返しに諦めてはいけない。

繰り返しを止めさえしなければ、自ずと導かれる、 飽きずに続いているもの、そっちそっち。 面白くてワクワクするものなら、もっと楽しみたいと思うようになる、 すると考える。 構想を練ったり、創造を膨らませていったり、 その繰り返しの中で、 気がつくと人より詳しかったり秀でているもの、 そこに無限性を感じたら、それが自分の特性となる。絵を描いているときの自分、 戦略を考えてるときの自分に無限性を感じたなら、 そっちそっち。

③、安心感を持てるポジションにいること。 その環境の中での自分のポジションのこと。 例えば・・サッカーをやっていたとする。 面白くて、そこそこ上手くて楽しめていた。 しかし、ある時期、それ以上、 自分の思うような成果が出なかったり、 満足いく手応えを掴めなかったり、イマイチ楽しめなければ、 その自分の、プレイヤーとしてのポジションに安心感がもてなくなる。 私が思うに、その当時の結果が全て。 ~たら~れば は、ない。 プレイヤーとしての才能、そのポジションが 自分に最適かどうかを考えた方がいい。

繊細で敏感な人は、 そのスポーツの選手に向いているか? もしかしたら指導者が向いているのかも知れない? 或いはサポーターとして共に戦うことで自分らしさが発揮できるのかも知れない? サッカーというフィールドが同じでも、 そこに関わる自分が一番自然でいられ、 自分の特性が発揮でき、安心して居られるポジションはどこか。 それは、体験の中で、自分が感じながら掴めるものだと思うのですよ。

結果に嘆くのもいい。 勝てないことを悔やんだり、しゃにむに頑張るのもいいが、 そのポジションが自分にとって最適かどうかを考えた方がいい。 どの人にも、自分の最適なフィールドはある。 そして、そのフィールド、ポジションに優劣はない。 それこそ、適材適所なだけ。 自分が自分のフィールドにいられると、勝敗に関わらず、 自己納得は促されるものです。 それが何なのか、どこなのか、 それは案外、身近なところにあるものだと思うのです。