ああしろ こうしろ、あれダメ これダメ と、 正論で畳み込まれると、 行動には規制がかかってしまいます。 その正論が○で、それ以外が×となり、 ○を目指すようになっていきます。 すると次第に、 ことあるごとに何が○で、 どうしたら○かを素早く考えるようになります。

例えば、 ご飯は残さず食べるもの、好き嫌いはしないこと、 これらを正解つまり○とするなら、 ご飯を残すことや、嫌いなものがあることが×となる。 ご飯を残したら勿体ないとか、バチが当たるとか・・ そう言われれば言われるだけ○×に縛られてしまいます。

ここで、もし、負けず嫌いな性分の人は、 ○×の○を目指そうとします。 負けたくない性分が、 完食を目指そうとするでしょう。 また、真面目で几帳面な性分の人は、 やはり完食しようとするでしょう。 つまり、持ち前の 『らしさ』 に従い行動する、 自分の性分が、その行動を決定づけているのです。

とは言え、○×に縛られているので完食は楽じゃあない、 なのに辞められない という状況が続きます。 そして、自分が何をしているのか、 何が苦しくてどうしたいのかが 解らなくなってしまうのです。 こういうパターンで、自分の 『らしさ』 を貫きながらも ○×に苦しんでいる人は多いですね。

人はいつでも自分らしく反応します。 どんな環境、どんな状況下でも、その人らしさを発揮します。 ○×があればあるほど 本領発揮してしまうのが、負けず嫌いな人々、真面目で几帳面な人々。 そこから抜け出すには、 自分らしさが何なのか、見つめなおしてみることです。 どうして苦しいのか、何が苦しいのかが見えてくる筈ですよ。