例えば、頭を殴られ、痛いと口にし、止めてくれと言う。 この当たり前のこと、誰に対しても出来ますか? ・・・程度による? ・・・相手による? こういうことが、どこまで自分に素直に出来るかが、生きやすさに繋がるんだと思うんです。

おそらくですが、さんまさんや紳助さんは、言えてそうですね。 あの人達、自分が嫌だと感じたら、大体は言うでしょうね。 だけど、それで言われた方は傷つきますかね?

自分が嫌だということを表現することは、相手を傷つけることにはなりません。 彼らを見ていて、はっきり物言うけど、嫌われてないでしょう。 いや、芸人とかあのクラスだからではないですよ、 自分を主張するということは、「オレはこうだ!」と表現することなんで、 押し付けることでも、相手を嫌うことでもありません。

ここのところが重要なんですが、言う人、言われる人、 双方に、否定感があるかないか、です。 さんまさん、人を否定してないでしょ。紳助さん、人を嫌ってないでしょ。 何故なら、自分に否定がなく自分に卑下がないから、思うことにも卑下がない。 ただ自分がそう思うから、そう言う。 自分に卑下がないから人にも卑下がない、否定がない。それが相手に伝わる、 こういうことです。

自分卑下がないと自分を肯定できるので、自分尊重、ひいては人間尊重、 つまり他人尊重が自然とできてる。 肯定するとは、「善い」と認知するというのではなく、「ある」と認知すること。 つまりね、そのまんまを認めること。だから、情けない自分も、びびりの自分も それでよし、 まぁいっか なんです。 まっちゃんやはまちゃんも同じ。 そして、みなさん主体性を持って生きてらっしゃる。 主体性とは、自分が自分の気持ちを認めていて、それを表現していくことです。

そしてそれは、相手に嫌われるどころか、好かれるものです。 開けっぴろげ、純粋、裏表がない、正直、素直、否定がない・・ どれも好かれるのは当たり前ですが、そもそも、好かれようなど思っていませんので、 ひたすら自分に眼を向け、ただ正直に欲求に向かって生きています。 自分を卑下しながら、他人を肯定し尊重している人には無理がある。 そもそも、それはちょっとおかしい。

自分を肯定して初めてそれがどういうことかが体感として理解できるので、それを 得られずして相手を尊重しようとすると、つい相手の望むように振舞ってしまうことになる。 これは違う。 止めて下さい、いりません、お断りします、など言うことで嫌われるとすれば、 相手側の問題です。 嫌われそうで言えないのなら、自分の自己評価の低さや承認欲求などからでしょう。

主体性が回復されると、自分らしい自己表現、自己主張が自然になります。 思ったこと、感じたことを裁かなくなると、ホントに楽に自由に、生きやすくなりますよ。