自己受容とは、何でもが叶う、手に入るようになることではありません。 自己受容するということは、例えば情けない自分を知ることであり、 情けない自分に愛おしさを感じることでもあります。 自分を知れると、自己表現や自己主張しやすくなる一方で、 自分のだらしなさや、才能のなさに気づかされることもあります。

例えば、いつも他人にビクついてしまう人が、自分は、人にどう思われるかが大事であり、 嫌われないことが第一優先だと解ると、ビクついてしまうことに納得する。 それなら、「あっそうか!ならビビリな自分でいいんだ。 だって嫌われたくないんだも~ん。」で構わない。

しかし、そこで多くの人がそう思い切れないのは、 ビクつかないことが○で、ビクついてしまう自分に否定感を持っているから。 そこで、どうして否定感があるのか、そういう自分の価値観を辿っていくと、 いろんなことが見えてくる。

親から従順を強いられてたことや、自由に表現してたら弾かれたこととか、 何らかのエピソードと共にその時の気持ちが蘇ってきます。 何かのきっかけで、ビビる自分ができていったことやビビリな自分はダメなんだ と 思い込んでいた事実が明らかになってくると、自分への否定感は 必要のないものへと変化していきます。

自分のしてきたこと、自分の選択が、そのチョイスでよかったんだ、 自分のままでいいんだ と思えるようにもなっていきます。 自己受容とは『自分適応』であり、つまりは、ビビリでいいんだ、嫌われたくないと 思っていいんだと受け入れられることであり、自分裁きが減っていきます。

何でも平気でできちゃう自分になっていくのではなく、どんな自分でも 放っておけるようになること。 ビビリな自分、情けない自分でいいと思えるようになると、そのまんまの自分で いられるようになり、その上で、ビビりながら、しどろもどろ、ぼそぼそとでも 自己表現しだすようになっていきます。

自己受容とは、絵に描いたような理想的な自分になるのではなく、 ありのままの自分を放っておけるようになること。 出来なくてもそのままでいられること。 自分のまんまでいられることです。