数年前に捜索願いを出す経験をしてしまった。 簡単に言うと、息子が女と逃げ、クローゼットの中からその1ヶ月前に書いた2人の遺書が 見つかり、相手がいる事もあって、届け出たという訳。

まあ次の日に連絡があり、ガッチンコ対談ですよ。 私に言わせれば、反対を承知で付き合う覚悟があるかということしかない訳で、 そこんところが甘いと感じた。 最終的には本気度の問題でしかない訳で。

ということで、何が言いたいのか。 自分の人生をどう生きるも自分次第、欲しけりゃ行動するしかないし、 真剣さとか覚悟がなけりゃどこかで行き詰る。 家族にもそれぞれ考え方や感情の違いがあるので、お互い引く事はない。 家族であろうとイヤなら距離を持ち、自己責任で生きればいい。 お互いの人生経験を奪う権利はないからね。

それに伴う寂しさや辛さとか、落胆とか悲しさは込み込み。 自分の為に思いっきり泣いたり喚いたり、しおれればいい。 親の為や子の為ではなく、自分は自分の生きかたに責任を持ってやってみればいい、 経験して体験して変化していけばいい。

今回の行動は、咄嗟の行動でもあり、親への反抗でもありました。 しかし、良いも悪いもない、うちでは普通の事。 自分の為に行動を起こす、誤魔化さず確認するってことにおいてはうちの誰もが 当たり前ですので、またまたガチンコしながら互いの確認、 自分の気持ちを確認するのみ。

自由を獲得していくという事は、責任や覚悟はもとより、家族全員が、 互いに、きちんと話しきちんと聞くことが大事だと思います。 これができる家庭であれば、それぞれがどれだけ違っても、時には絶縁になろうと 問題ではないでしょう。 親であっても子供の人生の責任など取れはしません、代われないのですから。 自己責任と覚悟、それにつきます。

こんな事があり、色んなことを考え直した息子は、意味を感じない大学生活を見切り 就職しました。家を出て自活したいと考えたそうです。 善いか悪いかなんて何の意味も持たないですよ。まして、周りがどう見るかなんて問題外。 大事なのは自分が自分をどうしたいのかであり、必要なのは自己責任と覚悟です。 事が起きるごとに、真剣にぶつかり、それぞれの違いを認識しあう事です。 方法はひとつ、先ずは自分に正直になることです。 欲しいと望めば、それは自分の手の内にあります。