高校生の死。部活での体罰が理由だと。最近また続いている、というより取り立たされていますね。ある体験者は、「弱りすぎると死ぬこともできなくなる」と言う。 欝から回復に向かい始めるその時が最も危ないとも言う。 行動に移すエネルギーが無いと死ぬこともできないと言う。

さて、果たしてその差は一体なんだろう。  やはり、、その行動を起こさせるものは、何らかの意思というか気持ちというか、 生きてる者へのメッセージ性のようなものではないか。 行動に移す人の多くは忍耐強く真面目な人が多い。 その力が及ばなくなった無念さの象徴なのか

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部活の強豪校。目的も目標も勝利のみ、勝って当たり前。 そんな環境のなかの指導者が、一神教の神様のように振る舞い扱われることは多い。 時に込み上げる感情が爆発することもあろう、が、暴力や体罰というものは そうしてしまうその人本来の中に持つ、思い通りにならない怒りの矛先でしかない。 だから逆を言えば、怒りを抱える指導者でなければ、暴力や体罰は絶対にない。

勝利至上主義の中での関係では、必ず上下がある。それ自体は当たり前である、が、支配がまかり通る環境はおかしい。 どうしたら回避できるか。 私が言えることは、少なくとも、連続的な自己否定感を感じ、「死にたい」と思い始めたなら、すでにその環境がおかしいんだと思っていいということかな。