自分の生き方に満足している人はどれ程いるのだろう。 自分の人生を自分らしく生きることにためらいは無用。 ためらうとすれば、それは、 自分の人生にただ責任をとりたくないからとしか思えない。 かっこ悪くても、アホでも、ドンくさくてもいいじゃんか。それをどう見られるかが気になっているうちは、本当の自由はない。

自由を自己中・我がままと混同する人がいる。 自由とは先ず自分の言動に責任が持てること。 責任とは、その言動の意図や真意が自らのものだと言えること。 そこに善悪などいらない。 それに必要なのは、ただ自分にとことん正直になれるかどうか、それだけ。 いやいやな行動や納得しがたい行動には責任を持つことなどできないからね。

そう、自由に生きるには自分に正直な気持ちに責任を持つ覚悟、 つまり、自分を大事にしてやればいいのです。 責任取りたくなければ主体的な自分の人生など送れるはずはありません。 良いとこ取りはありえません。 自由を獲得するには、先ず、自分がどうしたいのかを知ること、 自分と向き合い本心をしっかり確かめることが先決です。

先日、引きこもりのテレビで、1年半自分の部屋にこもっている中1男子の部屋から 父親がその子を引っ張り出している場面があった。 確か、カウンセラーに促され、父親が息子をひっぱたきながら、 「何の努力もせず、いつまでこんなことをしているんだ」とか何とか言っていて、 それに対して息子は「呼吸することを努力している」と言い返してたな。

・・・う~ん、息子、よく言った。 わかるなあ・・ 部屋中穴だらけで、物はビリビリに裂けたゴミ箱の様な室内で、 頑張って呼吸してたのか・・と思う。 私自身引きこもった経験はないが、引きこもりは理解できる。 本人が深い迷路にいるのなら、それなりに時間は必要だろう。 自室に引きこもり、他者を排除し、自分だけと向き合うことによって 見えてくるものはある。無駄はない。

むしろ、家族に言いたい。 腫れ物に触るように扱ったり、否定しといて世話を焼き続けたり、 なんとも中途半端。 親として家族として向き合う覚悟もなければ、対処の一貫性にかけている。 そういう中途半端さがその子に影響し、反映させただけのように思う。 子供は家族全体の鏡なんだよ。

つまりは突き詰めると、家族全体が自由を知らないのです。 やれ世間が、社会が、誰それがと、規制に縛られ、 自分の意思を見失っている。 自由の放棄。 自由なヒッキー(引きこもり)と仙人は、そんなに違わないとも思う。 とことん自分に従い他人をうらやむこともなく 人里離れ独り生きることを楽しむ ・・ありゃ、それってどこか自由なホームレスと同じじゃんか。