純粋性があればあるほどバカにされる? ええ、大概はね。でもそれで正解。 なぜならその純粋性というやつは、すべての人々の中にもつ、その人唯一の「らしさ」であるが、その独自性と奇異性に、ある種の不安とこっぱずかしさを感じ始めるにつれ、多くの人がそれを出すのを躊躇ってしまうからです。 人は人である以上、自分という独自性を持って生まれる。 しかしそれが他人を意識しはじめたとき、恥じらう。 (うちの一歳半の孫でさえ、褒めると喜び調子にも乗るが、ときおり、恥らう。だれも教えていないのに!)

そう、「恥らう」という、この人間の持つステキな振る舞いというか、なんとも微笑ましい行為こそが、人間の人間たる美しさであり、その個人のエロチシズムだと思うんですけどね、私は。 この恥じらってしまう純粋な振る舞いを、大きくなるにつれ、人は段々と見せなくなっていく。 まあ、恥ずかしいのなら当然なことでもありますが、大人になるにつれ、恥ずかしい→恥 という認識を持ち始めると、どうしても自分の恥じらいを引っ込め、引っ込めながら他人の恥じらいを笑うようになっていく。

誰はばかることなく自分のこっぱずかしさを表現できることって、本来は自然だしシンプルなことなのですが、やはり恥ずかしさを覚えた人にとっては裸であるくようなもの、「人前でそこまでやるか…?」ということになるのだろうね。 だからといって、バカにするというのはいかがなものかとお思いでしょうが…あなたはしてませんか? …そう、それも、自然なんでしょうね。

つまりね、純粋性があることは恥ではない。だからと言って、バカにし相手を傷つけていいということはないが、それを笑ったりバカにしてしまうのも自然なこと。 だから、恥をかきたくないと思っているうちは純粋性も引っ込んでしまう。 だから反対に、純粋な人でいたければ、このカラクリを理解し、自分のプライドを緩めていくことだよね。