人間関係において、多くの人びとは最初優しく近づいてきて、もともと深い関係の友人同士だったんだ、というような素振りを見せる。 温厚でなんでも聞き入れてくれそうな雰囲気をかもし出す、そう、お互いにね。 それが段々と相手の癖というか個性を垣間見るに連れ、合うか合わないか、又は必要か必要でないかによって選別されていく。 初めは社交辞令というか、よい関係を築きたいので、「温厚でなんでも聞き入れてくれそうな雰囲気」を作る。

そしてその上で、自分にとって気が合う人あるいは必要な人を選別して、段々と洋服を脱ぐように心を開いたり、上手く利用したりしていく。 これは当たり前というか自然なことでもあるが、そういう中において、初めから開けっぴろげで自分をさらけ出し、しかも相手の反応に敏感な人は、たいがい傷つく。 この違いは、簡単に言うと、「子供と大人」をイメージすれば解り易い。 子供はストレートに物を言い、素直に自分の気持ちを話す。大人は場の空気を読み、相手に合わせつつも自分の欲求を満たすため、自分に都合のいいように振る舞う。

どちらも悪くない、が大人と子供が一緒にいたら、たいがい大人が先に疲れる。 本当の大人と子供であれば、何とか大人が我慢して合わせたりするのだろうが、実際、「子供のような大人」に対する対応はシビアだろう。 するとここでいう「子供のような大人」は、ショックを受けたり自分卑下をして、人間不信にもなってしまう。どうしていつも上手くいかないんだろうと思ってしまい、自分を引っ込める癖がついていってしまう。

どちらも悪くないし、どちらもそうなるだろうという感じではあるけど、そこには紛れもなく個性の違いというか、価値観の違いがある。 ただ単に子供が育っていないというのでもなく、アイデンティティの違いがあるんだろうね。

例えば…お笑いの千原兄弟の兄、せいじ。 彼のくったくのない物言いは子供のまんまというか純粋で、それでいて相手の反応に物怖じしないので、ただ自分でいられる。 彼への好き嫌いはあるだろうが、本人には全く関係がない。これぞ完成と思わされるほど楽しそうに見える。しかしどうだろう、もしも相手の反応に敏感だったら…自分らしさは引っ込んでしまうね。 それが弟のジュニア。

彼は自分の繊細さゆえに一度引きこもった。彼の強いところは、自分の細かさに対して世間から守るために自ら引きこもったと言えてる所。 まあ、それはさておき、どちらも純粋ではあるが、ジュニアの方が、相手の空気を読んでしまう所があるので、結局は傷つきやすい。 だからといって、兄せいじを目指そうというのではなくて、自分の体質を熟知し、それを自分が守れれば傷はつかないばかりか、相手の反応はそのまま自分への褒め言葉として受け取れるようにもなる。 若干、生意気で自惚れ屋にもなるが…笑