お客さん達と話していていつも思うのは、皆さんの話や訴えにはとても筋が通っているということです。 なんだけど、それについて長いこと確信が持てず、その為に、 自分以外の他者の眼を自発的に気にしてきたように思うのです。 筋というのは、話に誤魔化しがなく道理にあっていること。

しかし世間の次元では、筋よりもタテマエや空気の読み合いが重んじられ、自分の筋など入り込める隙はなく、不可思議で胡散臭い大人の世界に立ち尽くすのみになってしまうのです。 しかし順序よく混乱を解き、自己否定と思い込みを外して紐解いていくと、筋の通った言い分が残る。 そして、自分が引っ掛かかっていたものが解れば解るほど、そこに見えてくる自分の根本的な悩みの原因が、『世間は自分が納得できるほど筋の通ったものではない』ということを 浮かび上がらせることとなる。

苦しみの原因は、その世間に自分が迎合しようとしてきたことであり、迎合できない自分は社会不適応者としてこの世界から弾かれてしまうのではないかという恐れです。 しかし実際は、迎合しようとすればするほどに出来ない自分を感じながら、自分を裁きつつも動けず苦しんでしまう。 そこには、揺るぎない意思を感じさせる自分の意地とも思える 生き様のようなものが見えます。 それは、親や大人や世の中の不合理・理不尽に対して、全力で挑んで打ち砕かれ、それでも止まない自分てヤツが、自分に対する尊厳を守り、自分の生き様を貫く為に時期を待っていたようにも感じさせられる。

いつもの繰り返しになりますが、人間は自分が納得するようにしか生きれないし、そうでしか落ち着けない。 そうでないとそれだけストレスがかかり、息苦しさや違和感を覚え、或いは何らかの身体的症状が現れたり鬱になったりする。 世間に適応しようとして病気になる。 しかしこれがまさしく人間らしい反応の証拠であり、自分が完璧な人間なんだということに驚愕させられる。

そして完璧な人間だからこそ、恨んだり憎んだり、イラついたり悲しんだりする。 勿論、笑い、喜び、楽しむ。そして執着する。 そうすることによって、自分が自分の気持ちを十分に感じ切ることで、自分が昇華納得しやすくなる。 だから感情とは、自分が自分の為に、それを噛み砕き理解していくのにとても重要で必要不可欠なものなんだ。 例えば、憎い相手を許したければ、その前に徹底的に憎まなければ許せない。 笑って許せるのは、余程どうでもいいことか、相手を蔑んで見下すこと、もしくは自分を裁いて保っているに過ぎない。 自分の為に憎むということが大切。 だからといって復讐は別の話。

ところで、自分以外の他者の眼、つまり人の眼が気になるというのは、比較・判断することで自分の言動を鑑み、選択材料としている。 ということは相手によって自分の言動が変わるということにもなるが、それは人を気にしているようでいて、自分にとても関心があるということ。 が、自分に関心があるイコール自分に自信があるという訳ではない。 他人に興味関心があるのではなく、自分に関心があるが故に 他人を気にしているのです。 カウンセリングでは、今まで気になっていたもの全てを、ひたすら忠実に知っていきます。 自分の納得できるものは、ただ真実でしかないのですから。