人は、どんなに過酷な生い立ちや境遇下でも、本質に傷などつかない、 ヒビなど入らない。 確かに、支配的・威圧的な環境下では、認知の歪みや行動のズレを惹き起こします。 しかしどうあったって、自分は自分でしか、いようがない。 苦しいのは、曲げようとしても、芯まで曲がらない自分のもがき。

どれだけ傷つけられようとも、自分でなくなることができないから、 自分のまんまでいたら結果的に傷ついていた。 自分以外になることを拒み、自分になれないことへ苦しみ、 そのまんまでいることしかなかったから、結果的には傷だらけ。 でも、ホントは傷つくことが怖いのではないだろう。 勿論、傷つきはイヤだけれどね。

威圧者、強制者、支配者に原因はある、だから対峙や復讐があってもいい。 傷つけてきた者に対して、勝利を勝ち取るのは当然の権利でもある。 親と向き合い、怒り、訴え、全て吐き出すなど、大事なプロセスではある。 しかし、自分の生き辛さの深さはそんなんでは済まないでしょう。 過去の体験が全てではない。 自分を確認し、理解し、芯まで掴まないうちは、物足りなさは消えない。

傷つきが癒されないうちは、傷つきに耳を傾けてくれる人を好む、当然ですがね。 友人であったり恋人であったり、時には占いであったりカウンセラーであったり。 しかし、だんだん、傷にアプローチされるのは鬱陶しくなる。 傷の穴埋めが目的ではなく、不幸合戦をしたいのでも更々ないからね。 だって、奥の自分自身、芯は傷ついてないもの。 問題は、傷の回復じゃないからね。報復じゃないからね。

もし、自分が過去の環境でなかったら、自分の親でなかったら 傷つかなかったかだろうか? いや、そんな筈はない。 全ては必然、ギブ&テイクでしかない。 いじられようが傷つけられようが、或いは、いじり傷つけようが、自分の生き様のプロセスに過ぎない。 体験での布石を確認しながら、自分を知っていくほか、道はない。 自分自身の誇りに沿って。