こころの孤児 …ここでは、自分のこころに興味・関心を払ってくれる人、こころの保護者がいなかった人という意味で使っている。 こころの孤児からの脱却。 何度も言いますが、それは並大抵のことではない。 なぜなら、先ずは自分にそういう自覚がなく、 だからこそ自分に何が起きているのかがまったくわからないことで、 ただ漠然と苦しく虚しい日々が続いてしまうからです。

これは、AC(アダルト・チャイルド)の自認と似ているが、 それよりシンプルでわかりやすいと思うのは、 自分がこころの孤児であると自覚するという時点で、 親から脱却するという話ではなく、ただ「自分」にだけ視点を持てること。 勿論、親や家族のこと、その関わりについての対話はあるが、 多くの人が無自覚ゆえに掴めていない、寂しさや甘えについての会話がしやすくなる。

こころの孤児たちの一番の特徴は、人間関係において恐怖感を抱いていること。 それによって当然あるべき関係を営めずに、これまた無自覚にも 孤独のままそこから抜け出せずにいる。 グループや団体や人の家族に対して、壁の外からもの凄く嫌悪してしまうのも頷ける。 だって自分には無縁な、まったく知らない世界なのだから。

夫の例を持ち出せば、自分がこころの孤児だという自覚を持てたとき、 はじめて、ある人に対して、「もし、この人が自分の親父だったら」という視点で 観察することができ、それまで恐怖していたその人に対して、 はじめて違った見かた、自分の気持ちの揺れを感じることができた。 怖いという感覚以外の、何か自分の奥で感じられた心の揺れ、 それが自分を知っていく入り口になる。