「心配だから任せられない」という不安のある人が、 自分の不安に我慢できずに人と関わると、 相手の意志や考えを尊重することを忘れ、 相手の行動を規制・管理してしまうことがある。 特にこういう親が子供に接するとき、その子供が、 「自分で考えたくない」或いは「黙っていればやってくれる」と思ったとき、 その関係は、共依存となりやすい。 この関係が、一旦できあがるとなかなか脱出できないのは、 お互いの弱さを互いに利用し、互いに利益を得ている点にある。

そう、どちらも育っていないというか、親に育っていない箇所だもの、 どうにも教えることができないのだから、これはある意味、仕方が無い。 どちらも育っていないのだから、互いに依存・寄生し合って生きるしかない のも頷ける。 だからこそここから脱出するには、自分のしていることに苦しさを感じたり、 相手から被害を被り、自分の得(とく)が得られなくなってきた時でしかない。

ということは、お互いがよければその関係は続くし、それを誰に咎められようとも 構う必要は無い。 共依存とは、それ故に解りにくく厄介で、逃れられない関係なのです。 こういう親の下、一番の被害は、そういう親の問題に気付かず、 自分で考え行動したいのに、当たり前のように 『管理』 『依存』 される子供達。 彼らはそれが問題だと気付かずに、唯一無二の親を、当たり前のように受け入れてしまう。 害虫とも気付かず、ただひたすらに寄生させ、自分がむしばんで行くのに 気付かないようにね。

…と、今回はそういう話ではなく、話をもどして、 そこから脱却するには、 「心配だから任せられない」という、自分の不安から相手(子供)を依存させてきた人は、 「任せてどうなるか解らない」という不安に自分が耐えられるかどうかであり、 「自分で考えたくない」 「黙っていればやってくれる」と依存してきた方側の人は、 「やってもらえない」 或いは 「指示などもらえない」という不安に耐え、 自分で考えていくことを身につまされる必要がある。

お分かりのように、どちらにも「不安」があり、どちらも、その自分の不安と 向き合わなければ、自分だけの人生を勝ち取ることはできない。 この作業の大変さは、今まで二人三脚のように互いを庇(かば)い合ってきた二人が、 ひとりで自分の不安と向き合えるかどうかだが、 その不安の裏側にある、極度の見捨てられ恐怖や承認欲求が頑固に絡み付き、 元の共依存関係がなくなっても、他の寄生主を探してしまったりと、 本人にとっては、麻薬中毒から抜け出るような苦しい作業だ。

脱却の意志がどんなに強くても、その意思とは関係ないところで抗(あらが)ってしまう自分。 だからこそ、的確にナビしてくれるサポーターが必要なのです。 共依存に気付きそこから脱却を果たしたい方は、このカラクリをご参考ください。