人に対する優劣感はあったっていい。 苦しいのは、自分の中にある優劣や上下、善悪の価値観を、 むやみになくそうとすること。 なくそうとして、出来なくて、そういう自分を責めるから苦しくなります。 そんなこと、する必要はありませんよ。 自惚れたり、卑下したり、或いは他人を妬んだり、見下したり・・・ 人間はそういう感情・感覚を持っています。 それは紛れもない事実でしょう。

特に、敏感で、細かいことが気になる人であれば、 例えば一点差にもの凄く拘ったり、僅かな誤解にも細心の注意を払うだろうし、 その機微に一喜一憂して当たり前です。 例えば、 自分の能力が人より高ければ、低い人がくだらなく見えたり、 見下したくなる。 負けん気が顔をだせば、僅かな差に優越感を感じたり、逆に 出来ない自分を卑下したり、悔しくて相手を妬んだり、 ぶん殴りたくなる。

自分が拘るものほど感覚は研ぎ澄まされ、勝ちか負け、上か下、 白か黒というように意識が向いてくる。 すると当然、細かな気持ちが強く溢れ出し、 根底にある自分の感情に触れざるを得なくなる。 この流れ、自然です。 一点に拘ったり、微妙な誤差に拘るなら、その差に上下がつくのは当たり前。 むしろ、そこで、得意にならなかったり悔しさを感じないほうが不自然。 これ、明らかに人間の感情に沿っている、正直な感想。

しかし、細かければ細かいほど、人があまり気にならないことや、テキトーに 流せているようなものでも、自分だけが無性にムカついてしまったり、 どうしても許せなかったりすると、人一倍強い憎しみを抱く自分が 浮き上がって見え、自分を醜いと嫌悪してしまう。 「どうして自分だけ、こんなにしつこいんだろう。みんなは許せて仲良くしてるのに・・」 と自分の敏感性を忌み嫌うようになっていく。

嫌う、憎む、怒る、見下げる、妬みたくなる気持ちにダメなものなどないのですが、 それを感じる自分を憎み、そういう自分を封印したくなってしまう。 そうなると、自分の生の反応を他人に悟られないように自分を見張るようになる。 自己嫌悪、自己否定の始まり。 人間は、隙あれば人を利用し自分は楽をしたいものです。 女王心理、ハーレム心理、ヒモ心理、それからストーカー心理、独裁者心理は あっていい。

人の持つ偏見が許せないのは、自分の偏見を裁き、認めていないからです。 バカにしたい、威張りたい、そのどこがいけないんだ? 恨みたい、仕返ししたい、そのどこがいけないんだ? 私は、そこにある本性と腹を割って話したいし、 その触れ合いに「人っていいな。」と感じてるのですがね。 理由付け無用、全ては、『だって本当にそう思うんだもん!』 その一言だけで構わない。