二元論から脱却するということは、どちらが善いか悪いかというような二者択一的な価値観 から外れ、自分自身の思考や感性でものごとを捉えていく自分になるということです。 例えば、人前で何も喋れなくなってしまう自分は弱くてダメだとか、自分の弱さを克服 しなきゃと思ってしまうのは、強い・弱いという見方、どちらかが優でどちらかが劣、 或いは善か悪という二つの価値観しかないので、弱いことを悪いダメな自分として 自己処罰したり、情けないと卑下したり、または強い自分になりたくて克服しようとしても、 出来ない自分を非難してしまうからです。

どれほどやったところで何も変われないということを、今までの自分が嫌というほど 知っている筈なのに、更にその罠に落ちてしまう。 二元論の中を堂々巡り、これが二元論の縛りです。 喋りたいのか喋りたくないのか、言いたいのか言いたくないのかのどちらかで構わない のに、弱いから言えないという自己処罰で跳ね返されてしまう。 だからいくらやってもそこから出られない。

脱却するということは、そういう二元論から離れ、自分の内側に耳を傾けること。 つまり言おうと思ったときに自分がどう思ったか、言えないときに自分が何を感じていたか、 そういう自分の気持ちや感覚をじっと深く、深く、客観的に見つめていくのです。 自分が何を感じ、何を欲しているのだろうか、そういう自分の内側からの声を聴いて いくのが、自分と向き合うということなんです。

ただ、これを自分ひとりでやり難いのは、自分が自分と対話していきますので、 自己否定している自分と自己否定したまんまの自分との対話となり、同じ迷路を さまよってしまうからです。 言えない自分にダメだしをし、それを克服できない自分に更にダメだしをしてしまう、 これこそが二元論の落とし穴です。 この繰り返しで、何が原因か何が起きているのか解らずにもがいてしまうことになるのです。

自分の気持ちが浮き上がり、自分自身の思考や感覚でものごとを捉えだすと、二元論に はまりきれなくなり、自分の気持ちで動きたくなる、動かざるを得なくなります。 カウンセリングでは、この繰り返し、自分の内との対話です。 自己否定と向き合い、恐怖や不安と向き合い、自分の内側の気持ちと忌憚なく対話 していると、二元論から脱却した、自分が主役の人生が自動的についてきます。