骨がズレると違和感や痛みを感じるように、心がズレると違和感や生き辛さを感じます。 心のズレとは、認知がズレてしまうこと。

例えば、「みんな仲良く」という教えが染み込んでいくと、人と意見が違ったとき、 我を引っ込め相手を優先させ、円満解決を目指してしまいます。 従順なばかりで自分の意見を見失い、自分がわからなくなってしまい、いつしか 親や規律を参考にしたり、いつでも誰かがいないと生きていけなくなってしまいます。

あくまでも認知は自分の見解、それを「仲良くすべし」と教わることで、相手に 同意できない何かがあっても、自分の認知(例えば、こいつと仲良くしたくない、 こいつは嫌いだ という認知)を曲げることになってしまう。 仲良しが善行という、どちらが○×かを基準に動くようになるので、 いつも世話しなく自分を戒め、裁くようになってしまいます。

これでは自分自身の認知から離れるばかりで、いつでも不安が付きまとい、 安心感など持てはしません。 自分の認知とは、自分がどう思い、どう感じるか。 その考えや気持ちからズレた行動を取り続けたとき、違和感や気持ち悪さ、 何らかの身体的症状や日常的な生き辛さを感じるのです。 もともとは、誰もが自分の認知(個性)を持ち合わせて生まれてきます。 それがズレるのは、大概が親や家族の影響です。

例えば、成績の良し悪しで、褒められれば嬉しい、叱られれば悲しい。 しかし、日常的に親の一喜一憂な態度に揺さぶられると、認められるため、 親を喜ばすために頑張るようにもなる。 そういう親の多くは、「あなたの為」を連発しやすいが、そう言うことで親の優越感や 自分の承認の欲求を「子供の為」に摩り替えている。

子供は、自分の認知のズレにも気づかず、親のために右往左往してしまう。 そう、自分の安心感と引き換えに、親の安心感を守り続けているのですよ。 そもそも自分の認知を持っているにもかかわらず、認知の上塗りをされ、 ズレまくった自分に気づいてもいなければ、苦しいのも当たり前。 だからこそ、先ずは自分の認知を再確認し、二度と奪われないようにすることです。 自分が一致していれば、絶対的安心感は得られるものです。