全ての人に主張がある。 生きている以上、そこにその人の精神があり、その中に宿っている個性が 生き様というものを作っていってる。 だから、過去のいかなる行動も、ジャストジャッジでありジャストチョイスです。

~たら、~れば、は、ない。 そこにあったのは、生き様、あなたの意気地のみ。 意気地とかいうと意気地があるとかないとか、そうじゃないよ、 そんなんどっちでもない、 それがあなたの生き様なだけ。 気概というか、らしさ。 その奥に主張があるんじゃないですか?ということ。

例えば、 【小さい時、無邪気に振舞っていた私に、お母さんがもの凄い怪訝そうな顔つきで睨んだ。 その空気ったら、ゾッとするほど恐ろしくて、その瞬間、自分が無邪気に振舞っていては いけないんだと悟った。それからは必ずお母さんの顔色を伺い、失敗しないよう 振舞うのが普通となった。】とする。 この子にとって、他の選択はなかったのでしょう。 そしてこの行動がこの子の意気地。

意地といってもいいくらいの、そこにその子の主張がある。 お母さんが怖かったのもあるし、好かれたかったからもあったでしょう。 だけど、誰にも気づかれなければ気づかれないほど、その主張は叫びに変わり、 その叫びが自分を混乱させていきます。 自分ですら訳がわからなくなり、自分が暴れ出します。

治めるには、主張を聞きにいくことです。 自分が自分の、そこにある主張を、しかと聞きにいくことです。 根底に宿る自分を見つけられるのは、自分しかいませんからね。