人は、ほっとけば自分の楽な方へと向かうもんだ。 ぐうたら?構いません。 楽でいることに居心地のよさを感じたら、 その居心地をどう維持していくかを考えればいいのです。 人間、楽に罪悪を持つ必要はありません。

でも人によって、楽になって嬉しい場所は違います。 私でいうと、掃除は毎日しなければ気がすまない、自分が落ち着かない。 掃除しないで楽チンとは私が思わないということです。 ある意味、ヒモでいたい人とヒモを喜んで養おうとする人のように、 欲求が噛み合っていれば問題などないのです。 働かず人の収入に頼る人をヒモと呼ぶなら、 稼ぐことに苦を感じずほかの欲求をその人から得られたら、 正にギブアンドテイクですもの。 それをお互いが意識していたら、相手の行為が「当たり前」ではなくて 自然に「感謝」してしまうものです。

まあ、うちの場合もこれに近いのですが。ヒモという呼び名も 周りが付けたレッテルに過ぎませんからね。 それぞれの居心地は違って当たり前。 だとしたら〈楽=ぐうたら〉でもなかろうに。 なんやかんや言いながら、人間は自分の楽だと感じる方向へ流れようとします。 それに身を任せれば、やりたくない事をしなくなる。 そう、頑張らなければいいのですからね。

人から見たら、ぐうたらに見えるかもしれない延長に、 その、ぐうたらなようで一番無心でいられる状態の中から、 「ん?面白そう」と興味の湧くもの感じる方向に、 自分らしさの可能性があるだろうことは明白でしょう。 シンプルに自分が自然に委ねていられると、自ずと興味のあるものに向かいたくなります。 そこに自分の可能性の芽がある。 だって、自分の中のアンテナがちゃんと反応してきますから。 これが成功法則でもあるのです。