怯えの正体、それは、自分として生きることを放棄した自分の泣き声です。 怖くてパニくって、どうしたらいいか考えられない。 そのため相手が気に入る言動しか取れず、疲労困憊しいつもしんどい。 そういう人の心の奥には 「憎悪」 がある。 そしてまた、その心の奥の奥底には 「怯え」 がある。

そういう人の内側で起きていることは、 心のなすがまま居られないことに絶望した自分が、 心のなすがまま生きることを放棄した結果、自分の言動に無責任となり、 自暴自棄に自分の心から逃げ続けながら、絶望感にさいなまれている。

自分の存在を拒否り、反応を隠し、ただ相手に合わせたり相手を持ち上げたり、 それだもの、人と深く繋がりを持てる筈はない。 そういう、まさに身代わりの術を使って生きていても、 いくら、そうやって生きていても、 ビクつきは止まらず、絶望感、虚無感は消えない。 その奥底で怯えている心を掴まなければ、絶対に絶望感は消えない。

怖くて不安で、どうしようもない心に気付きそして触れ、その怯えを掴むこと。 そういう自分が居るということを理解し、 今までのことを、 「そういう自分がしてきたこと」 と認めること。 「自分は、そういう自分の意思で存在してきたんだ」 と感じることだ。

しかしその前に、意識的にひた隠しにしてきた憎悪について語る必要がある。 内面に溢れる憎悪、それを正しく吐き出す必要がある。 ここを通らずして開放はない。 先ずは、ふて腐りたくなった気持ち、スネたくなった気持ち、憎らしくて仕方ない気持ち、 そして、淋しくて悲しい気持ちを思い出して。 そうしてようやっと、泣き声は次第に次第に静まり、 ただのちっぽけな自分が、ただそこに居ることを許可された安堵感に満ち、 失敗はしても怯えない、安心して、ただの人間となる。