親と対峙すること。 親に、今までの自分の気持ちや言いたかったことをぶつけることは大事なこと。 その過程では、親に込上げてくる怒りをぶつけ罵倒したり、訴えたりすることがある。 そうしながら、自分の言いたいことの整理と、親の反応を通して自分の気持ちにケリがついていく。 多くの場合、真剣にぶつけている自分に対して、親の反応があまりに簡単だったりお粗末だったり、 時には逆ギレしてくる親の正体を突きつけられ、見切りがつくことも多い。

親の呪縛から覚め、それは諦めにも近いが、自分の人生を歩む決意も生まれ出す。 しかしその過程は、生易しいことではない。 親と対峙していくことの最大の目的、 それは、親にぶつかることで自分の正義を証明することや、気持ちを解らせたり、 または親を変えることではなく、親に左右されない自分を勝ち取れること。 親から解き放たれ、誰にも縛られないで生きれる自由な自分を手に入れることです。 だから、ただ闇雲に親を攻撃したり、親に非を認めさそうとしても何も変わらない。

相手に認めさすのではなく、自分が宣言できること。 その為に親に立ち向かうのです。 これ、裁判なども同じことだと思います。 相手に非を認めさせたり世の中を変えることより、自分が受けた屈辱から解き放たれ、 人や世の中から変えられない、縛られない自分を手に入れることだと思うのです。