神経症や対人恐怖の人の心にあるのは不安。安心できる心はない。でも、安心感のある人には、不安を容認する心がある。そう、不安がない訳ではないのです。不安とは、わからないこと。どっちにころぶか、どうなるかわからない中、最悪を想定したときにその怖さに埋め尽くされ、それを回避できなければ、そこから抜け出せない無間地獄となる。それが神経症であり、対人恐怖のメカニズムです。

わからないということが恐怖を呼び起こす。その渦に飲まれ、どうしよう、どうしよう…となり、本能的な防衛反応が過剰放出され、神経にダメージをあたえる。だからすごく疲弊してヘトヘトになるよね。早くひとりになりたい、早く終わらないかと、そのことだけを考える状態では、まともな会話・仕事はできないよね。

安心のある人の心には、不安も容認できるスペースがある。不安になっても、それで埋め尽くされることはない。その違いはなんだろう?じゃあ、どうしたらいいのさ?原因やメカニズムが分かっても、それが治らなければ意味はない。それが何よりも大事だよね。

そもそも、神経症の人たちの不安とは、その必要のないものが殆どです。他者から見れば、なんでそんなこと気にするの?と思うようなことばかり。でも、、不安なんだからしょうがない。怖くて怖くてしかたない、のだから。じゃ、どうしよう…

はい…その不安に着手するのではなく、ほっといてください!だって仕方ありません、不安なんですから。不安を押さえ込み、不安じゃないと思おうとしても、成功体験を積み、心の中に安心という領域を作ろうとしても、「あるもの」がなければそれはできません。

それが主体性です。着目すべきは、あなたの主体性のなさです。自尊心の低さです。他者を気にし、自分の気持ち・考えを置き去りにしてしまう行為です。不安の正体は「わからないこと」。その中で最悪な思考に飲み込まれ怖くなってしまう恐怖。わからなくても踏みとどまれ、最悪がよぎってもなんとかなるだろう、なんとかしてやろうというような思考のないこと。その鍵を握るのが主体性。

自尊心の低い方に自分の主体性はなく、相手にどう思われるか、嫌われないか、怒られないかが一番の問題。そうなったらどうしようという最悪の思考に飲み込まれてしまう恐怖がたまらないのです。神経症の解決には、不安に着目せずあなたの自尊心を修復し、主体性を回復させることです。その不安をなんとかするのではなく、あなたの主体性の回復に着手していきましょう。