苦しみの根本は、所詮、境遇ではない。 全ては個の素質だと、そう思う。同じ親でも兄弟によって、受ける反応や生き辛さの感じ方が 違うことを考えればお分かりでしょう。 過酷な家庭環境は認知を歪めますが、親の抑圧や特異な体験がなくとも、 素質があれば世間から叩かれ、きちんと苦しみ傷つく。 傷つきの深さの違いによっては、気づく時間に違いがでることはありますが、 だからとて早い遅いに優劣はない。

上記でいう素質とは、敏感さ、繊細さ、純粋さ。計り知れない感受性や鋭敏な感性の備わりによって、味わうべくして味わう事になる。 どこにいても、何をしても、結局は、苦しみを知る事になる。 苦しみは、多く自分を傷つけるというか、多くを感じさせられる。 しかし、その痛みがメッセージとなり解放への扉の鍵となります。

ある意味、傷つく、痛む事によって、自分を知る手がかりを、自分を知る足がかりを、 自分の為に自分が残しているのです。 そうまでして、結局は自分を知ることの大きな意味を感じているのでしょう。 諦めることを望んでいないのでしょう。

全ての体験は、自分が何者かを知る為でしかない。 問題は、それを気付こうとするかどうか。