私の行動を鑑みると、殆どが即決に近い。 直感と本能で瞬間的に決めてきたように思う。 ずっとそう、 大事なものほどそうだったと記憶している。

やりたいか、やりたくないか、欲しいか欲しくないかであり、 理由はあまり関係ない。 したいことを必ずするのは、 そこに何かがありそうな気がするから。 それが成功するかどうかは論外で、 自己納得度は100%、 即ち目的達成。 試してみてガッカリすることは多々ある。 手痛い思いは数知れず、でも解ってよかった。 それを糧にそこから始められるから。

知りたくなったものを知らずにはいられない性分なのか。 湧き出た欲望や違和感、或いは感覚を蔑ろに出来ないのは、 したくないというより単にできないだけ。 未知なるものへの不安がないのではなく、 真実への欲望が強い。 だから感覚に沿って試してみる。 篤(あつ)さと非情さは自負するところ。 しかし私とは逆に、石橋を叩いて渡るが如く、慎重な方もいる。 違いはあれど、同じく自己満でしかない。

そこで・・ インドの哲人クリシュナムルティは、 『恐怖とは、未知なるものへの恐れというより、既知なるものを失うことへの恐れ』 だと指摘する、全くその通りだ。 死が怖いのは生を失うことが怖いからということ。 落ちたくない心理、損したくない心理と同じだ。 なぜこの言葉が今ここで登場したかって? ↓こういうこと。

誰もが恐怖を感じるのは自分(らしさ、癖)を失ってるとき。 生きながら死んでるようなものだからね。 だからみな、守る、戦う。 私が即決するのは、自分は考えてても答えは同じだから かな。 むしろ熟考して解らなくなることのほうが怖いのです。 そういう時は、シンプルにシンプルに、自然に自然に戻すようにするかな。 反対に、慎重な人は、即決が怖いのでしょうね。 簡単に決めてしまい後悔したくないのでしょう。

どちらも自分を見失いたくないというのか、 自分にとっての不自然なことはしてないですね。 ただ自分が安心できない方法は取れない、それだけなんでしょう。 こうして話していくと、誰もが同じだということに気づかされる。 河はただ自然に流れた水の軌跡にすぎない、 というところでしょうか。

ところで、より自己納得しやすい秘訣、教えましょうか。

『凝る、飽きる、その両方を自分に許可すること。』  …by  マザーアース