テレビを見ていたら、ノーベル物理学賞を受賞した科学者が、 「どうしたら物理が好きになれるのか?」というキャスターからの質問に、「好きになるのに理由なんかないですよ。」と笑いながら答えてました。 「ただ好きなものが物理だっただけですよ。」って答えてた。

そうだよねぇ・・興味が沸く理由を聞かれても答えようがないよね。 ただ自然に熱中してしまうのに訳はいらないよね。 言うならば、好きなものに出会うしかない。熱意やら努力やらは関係がない。 偉業の功績を称えることが正当な評価だとしても、それにまつわるプロセスには苦も楽もあって当然。 研究のためにクラゲを一万匹採取したって、そりゃ、必要があればやるわね、やりたきゃやるわ当然だわね。

努力すれば誰もがノーベル賞を取れる訳でもない。 それは頑張ればオリンピックで金メダル取れる訳はないのと同じだ。 もし、努力というならば、そういう、やりたい研究をする為に、 どう環境を保ち続けるかを考えだす努力だ。 受賞者達を見ていて、海外に拠点を置いている方が数名いましたが、自分の研究を思う存分するために、彼らは拠点の選択をしている。 努力というならば、こういう自分のやりたいものをやり続ける為に、どうしたら、どこでなら出来るかを考えることだ。 それは、好きなものから離れない努力だ。

大きな発見というものが、偶然の出来事や失敗の思わぬ結果だったりするってことは案外あるよね。 それって、常識から大きく食み出た中からの偶然の発見だよね。 狙おうとして狙えるものでもないが、だとするなら、初めから方向や枠を決めないこと。自分のアンテナの方向へ行って見ること。 心から揺さぶられるものとの出会い、それを見つけるには、ひたすら自分の勝手を許すことなんじゃないの? 勝手を許すってことは、嫌いなもんにも言えること。 心が揺さぶられないものには自分を誤魔化しちゃダメ。

ところで、物理学者の宇宙創生についての話。 宇宙の起源は、ビックバンにより、粒子と反粒子が出来た。 粒子は6つの素粒子からなり、その結びつきでこの宇宙を作り上げている。 そして、粒子と反粒子が結びつくと、その両方が光となって消えてしまう、という。 反粒子というのは、天文学で言うところの、見えない物質(ダークマター)と見えない力(ダークエネルギー)のことでしょうか。 それは私たちの「意識」或いは「無意識」のことでもあるかな。

では、「自分」という素粒子の集合体が、見えない意識と完全な結びつきを得たとき、私たちは消えてなくなるのでしょうかね。 死んで空の星になるってことでしょうかね? みなさん、どう思います?