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最近のインターネット上における少年犯罪における 「実名・写真」の掲載。 その殆どは誰が書いたのか分からないもので、 真偽不明なうちに 「住所」「交友関係」「家族」にまで及ぶ 無責任な拡散、 「犯人探し」と「私刑」なるものなどが書き込まれる 野放し状態が続いていますね。

確かに、残忍な犯行であり、 「少年法」にて守られることの理不尽さは あまりにも納得しがたく心が痛む。 だからといって、 その被害者・加害者を含めたその事件に関わる 全ての正確な情報を知らずして、 また掲載主を明かさない安易な発信を鵜呑みにして 何が分かるのだろう。

そのどこに責任があるのでしょう。そこにあるのは、 「ワルに対してだから何をしても赦される」という、 いかにも正義の影で、 自分のうっぷんを晴らそうとする 稚拙さが垣間見える。 これでは、 稚拙さだけ取り出せば、 その加害者と変わらないではないか。

そう、こういうネット上にまき散らかす殆どが 同じく少年たち。 今また少年法を変えろという声があります。 でも、この何でも晒(さら)しちまえと 無責任に巻き散らかす若者たち(大人もいますけどね) を含む世間において、 その稚拙さが進んでいる少年たちに対する厳罰先行に、 何の意味が生まれるのだろうか?

少年法改正の議論が、 無意味に思えてならない。 変えるべきは法律だろうか? こういう世間の中で守られるべき子供たちを このような世間にしたのは 私たち大人。 そしてその背後に見え隠れするメディアの戦略。 勝手に人事のようなことを 口から漏らす前に私たち大人は、 子どもがいま何を考えているのか、 もっと耳を傾ける必要があるし 私たち大人が、 責任とは何か、尊重とは何かを 学んでいく必要があるんじゃないのかね。