敏感な神経の持ち主達は、他人のちょっとした言動にも敏感に反応します。 例えば、千原ジュニアの著書「14才」をお読みになった方はお解りでしょうが、彼は特異すぎる自分が押しつぶされないように、自分の部屋に篭った。 通学に黒以外の靴下を履く、カバンに沢山のシールを貼る、髪を金髪に染める、 鉛筆をナイフで削る、ただそれをカッコイイと思う自分は誰からも認められずに、自分でも解らない混乱の中で、自分を守る為、そして自分と闘い、誰とも違う自分になるために篭ったという。

ごく普通の両親からごく普通に育てられながら、だからこそ彼は混乱した。 親のせいでもなく彼の個性が通るプロセスだったのでしょう。 彼が目覚めたのは、兄からの誘いでお笑いを披露した時に、 ただ自分の琴線にどっか~んと触れる衝撃を覚えたことだという。

自分が心から面白いと感じれるもの、自分が自分に触れなければ終れないし始まれない。 人と違うということを理解することはできても、それじゃあ自分が何なのか、そして自分のリングを探すのには時間はかかる。だったら、千原ジュニアも言うように、学校へ行っている時間はムダかも知れない。 篭るもよし、他人を感じる自分の感覚を知るために世間の中で過ごすもよし、でしょう。

ちょっとの違い、それにこだわりたがる人間の本質とはなんだろう? 人間の拵えた二元論、善か悪、優と劣、天使と悪魔は、単に支配欲の賜物なんじゃないか。 ちょっと上かちょっと下、それが支配と服従の構造を生む。バカバカしいが、これも共存の刺激薬か。

人間の目の上のしわがあるかないか(二重まぶた)で違う世界に挑もうとする人。 100メートルを9秒台で走るのと10秒台で走る人。 孔雀の羽。機能性より美しさを手に入れたオスの羽。あの羽に描かれている目玉のような模様、その目玉の数は150~160個位らしい。 メスがオスを選ぶ時、メスは一瞬にして、広げたオスの羽から、目玉の数の多いオスを選ぶというのです。 強い子孫を残す、種の保存と同じなんだろう。 どれもちょっとの違い、僅かな誤差。

他の生き物も、それから自然も、知ってか知らずか、その違いの中に生き、それらを自然に使っている。 この予測不可能な必然の流れ、現象がカオスなんだろう。 ヒラヒラと舞うチョウは、カラスやスズメなどの鳥から追われないらしい。 あのヒラヒラがまるでカオス的な飛翔曲線を描いていて、進路を予測不可能ゆえ、外的に襲われにくく何万年も生き残ることが出来たともいう。

ところが兄弟関係にあるガは、チョウに比べ羽が小さく体が大きい分、スピードも速く直線的に飛べる為、進路予測がしやすく鳥も襲い掛かり易いのだそうだ。 このカオスというか、単純な規則で動いているにも拘らず、複雑・不安定に振舞う予測不可能な現象こそ、人間の心であり、宇宙の森羅万象の、シンプルな必然法則に則っているのです。

この予測不可能だが完璧な仕掛け、必然なズレ、揺らぎが自分を導いたのなら、それを遡れば、自分の本質に導かれるでしょう。 チョウのように、自分にだけ委ね、その意味を知っていくだけでね。