世論の主流が正論とは限らない

この世の中、往々にして権力やエネルギーの強い人の意見に納得してしまいがち。 例えば、テレビでいうと、スピリチュアルの江原さん、三輪さん。 彼らの発言に右へ倣いしすぎてはいないか? 信じるのは勝手ですが、占いや霊感を超えた彼らの断定的な物言いに、 太刀打ちしにくい威圧感を感じる。 それは、いかにも予言的であり、そうしなければ罰が下されると思わせるような 錯覚に陥らないか?

瀬戸内寂聴さんの悩み相談なども、けっこう断定的なこと言ってますね。 彼女の人生経験から滲み出る強さに大きく納得しそうですが、同じことを私が言ったら、 何人が耳を傾けるでしょう。 つまり、内容が同じなら、誰に言われても、ナルホド、ソウダッタノカ・・ と思えなければ可笑しい。 けれどそこに違いが出るのは、メディアの戦略もあるでしょうが、知名度、 カリスマ性をアップさせた説得力の上手さなんじゃないか。

自分が悩んでいるとき、力強いアドバイスは欲しいものだ。でも、実際には、 そのアドバイスに従うかといえば、そうではないことが多い。 正論や善作というものは、一般論や他人事にしか通用しない。 だって、解っているけど出来ないことが問題だから。 正論と自分の納得とは別の次元だからね。 だから、立派な人の意見と自分が違っていても嘆く必要などない。

世の中の主流が世論を動かしている、しかしそれが、それが正論とは限らない。 何の力が働いているか、きちんと見極めてください。惑わされないで下さい。

ネームバリューがなんだ?

世間的ネームバリューって、そんなに大事なのかなあ・・・ 政治家と歌舞伎の世界って世襲が多いじゃないですか。 素質や能力の差は勿論ありますが、そこそこなれちゃいますよね、 なるだけなら、必要なものは素質より環境なんですかねえ。

多くの場合、地位を手に入れたところで、実際、その先発揮するのは、慣れ? それから、要領のよさ? 真の能力とは別のところで売れたり、有名になったり、 そんなもんなんですかねえ。 全部とはいいませんが、そういうの、多いと思いませんか?

ある政治家が言ってましたね。 政治家として大きくなるには、献金などの集金能力のあるなしだと。 それと政治力とは別物なんだと。 うーん、それでいいんですかねえ・・ 世間って、大学や、企業や、家庭や、その環境の中に入ってしまえば、 そのネームバリュー、大義名分があれば、絵に描いたような幸せが 待っているとでも思っているんでしょうかね。 幸せになれると信じて、頑張って肩書きを手に入れるのかしら。

私の言うことと、寂聴さんの言うことでは、寂聴さんに納得するの? そりゃおかしい、誰が言っても、自分が、うんそうそう、わかるって、 心底納得できる、自分の中から、そうだよね、って思えなければ、不自然ですよ。 世の中よ~く見渡して下さい。 実際、肩書きがあれば、学歴があれば、資格があれば、大抵の人は信用します。 特に、ペーパー試験が大部分を占めるこの社会では、ちょっと頭がいいと、 その人の言うことを鵜呑みにしてしまう。

公共職員とか専門用語とか使われると、つい信用してしまう、 だから詐欺はなくならない。 エリートって、世間を意識し、優劣が強くて評価が気になるマニュアルバカのことかしら? その世界で、上にいける能力のある人のことかしら?

ネームバリューに惑わされないで下さい。 相手を見極めるには、自分の眼を信じられるかどうかですよ。 自分の眼を養うこと、自分にあるネームバリューに対する色眼鏡を 出来るだけ外す事ですよ。

大人になる、親になる、社会人になる、それがなんなんだ?

体験に優劣はない、どう気付くかそれが生きる醍醐味

いつだったか、アイドルグループのひとりが半年間の語学留学から帰国し、メンバー復帰が決まったという話題がありました。 確かアイドル絶頂期のグループ一員だった彼が、突然、目的も期間も行く先も曖昧なまま旅立ち、メンバーの戸惑いや憤りなどが垣間見られるような報道でした。無期限の離脱と言われながら、またまたこのニュースでしょう。 やっぱり、やったもん勝ちっていうか、世の中ってこんなもんでいいんだよね、 通るんだよね、ということですよ。

やりたいようにやってても、メンバーや事務所の思惑やら利害関係?、 世間の需要が一致すれば、まかり通る。 みんなに迷惑がかかるかなとか、応援してくれてる人に悪いかなとか、自分勝手じゃ ないだろうかとか、果たして上手くいくかとか悩んでいいけど、 自分の想いを後回しにする必要などないのですよ。 彼がどんな思いで留学を決意したのか、帰国したのかはわからないが、 思うとおりにやってみて、気が済んだ事、感じた事、納得した事があるだろう、 これがものすごく大事。

その時どう思われようと、どう言われようと、世間て必要があればいつでも受け入れる、 そんなもんですよ。 良いか悪いか、そういう評価よりは、必要性かな、波?風?会社の力? だから、誰もが、その時その時の自分を大事にしたほうがいいってこと。 好きなようにやった方がいい、むしろその方がいい。 世間の判断や評価など、ホントに取るに足りない。 叩かれる時もあれば、一転、賞賛される時もある、世間のそこに道理があるようにも 見えないですからね。

自由に生きるということは、他人の迷惑やわきまえの上に成り立つということは 当たり前。 その上で、世間を世間と見切って下さい。 どんな体験も自分の宝、その中から何を感じどう気づくかが生きてる醍醐味、 そう思います。 善いも悪いもない、優劣などない、世の中、全てがギブアンドテイクなのですから。

体験を奪わないでください

幼稚園や学校などで個性の尊重とか平等とか謳われてますけど、 実情は、まだまだ成績優秀な規律正しい優等生を好む世界でしょう。 だって、エリート街道を歩いてきて、落ちた経験や外れた経験のあまりない人が教師で それが生徒のお手本で、ボスだからね。

ボスは、自分に似ていない輪から外れそうな、或いは外れてる子を戻そうとするのが仕事。 ボスは、自分に経験のない、例えば椅子に座っていられない子の気持ちや、 勉強が大嫌いな子の気持ちはあまりわからない。 善いか悪いかで判断し、そして、善い方に矯正するのが仕事です。 生徒を理解したとしても、我が子への理解はどうだろうね。

自分の天職が教師でも、子供が中卒やニートだったら、 理解できるでしょうか。 教師という職業は、ある意味、偏った価値観を持った職業だということを自覚して いただきたいものです。 全ての人が教育の中を通ってくるわけだから、なんらかのマインドコントロールを 受けてくるわけだから、そんな中で、不登校したり、引きこもったり、反発したり、 そういう表現のできる子供の意思を尊重すべきではないでしょうかね。

千原ジュニアが、自分の引きこもり経験を綴った『14才』という著書がある。 引きこもっていた当時の自分の正直な、ストレートな心の模様が書かれている。 是非読んだらいい。 彼は、自分を守る為に引きこもった。 世間が、教師が、大人が、いかに理不尽で歪んでいるのか、きちんと知っていた。

こういう本を読んで、変なヤツ・ ダメなヤツ・落ちこぼれたヤツなどとレッテルを貼られている子供たちが、 どれだけ、筋の通った、物事の道理をわきまえた、しっかりした考えや深い感受性を持っているか、 少しは理解しようとしてもらいたいものです。

彼が特別なのではない、誰でも、ほっとけば、いじらなければ自由に羽ばたける。 それがどこへか、何にかが違うだけです。 個人的或いは職業的価値観が、どれ程子供に影響しているか知って下さい。 親は教師の意見を真に受けるのではなく、親自身の意見、見方を持って下さい。 大人は、自分の意見を子供に押し付けているということを知って下さい。 持って生まれた素質、素材をどう生かすのかは本人の仕事、 親や教師の仕事ではない。 だから、いじらないでください。

話し合いのテーブル

本当の意味で、話し合いができてる人たちがどれほどいるだろう。 人の意見にきちんと向き合い、批判ではなく自己発言できる、 対等な話し合いができる人たちがどれほどいるのだろう。

話し合いのテーブルに着くということは、同じテーブル、つ まり同じ土俵の上にみんなが立つということが前提。 その前提がなければ、対等に話をし合う関係などできはしない。 ある程度、リーダー次第ってとこもあるが、意見の自由と尊重が保たれず、 馴れ合い、押し付けがまだまだある。 質問や意見を言うと、はぐらかされたり丸め込まれたり、時には逆ギレされたり。 通じないばかりか、こちらが悪いと言いたげに、正論や前例を持ち出す。 そんなんばっかりだ。

話し合いにならないと仕方なく、こちらが席を立とうとすれば、 我侭だの非協力的だの、訳の解らない事を言ってくる。 うんざりだ。 う~ん、損得が絡めば、誰もが躍起になって食い下がるんでしょうが、特に自治会や ボランティアなどの責任の所在がはっきりしない所は、曖昧な協調がまかり通る。 要するに、「みんな仲良く」の履き違え。

しかし、この世の中、まだまだ威圧的な人が牛耳ったり、権力を笠に 理不尽を押し通す輩は多い。 なので、そういう輩を相手にするのが怖いと感じて従ってしまう方々は、 口に出せなくても、出来るだけでいいので、 おかしいものはおかしい と感じることだけは辞めないで下さい。

そして、そういう輩は、私のようなバカが相手をしますので、心の中でいいので、 賛同してやってくださいな。 そう感じれる自分を肯定し始めること、それが、自己表現の一歩です。