3 怒りのワーク

怒りのワークとは

引き続きこのページでは、その怒りをどうやって扱っていけばいいのか、具体的なワークとして書いていきます。おひとりで出来るところまで、限界を感じたら無理をせずに、休止してください。

はじめにすること

まだ自分が怒っていることや、自分の怒りを感じられていない方も多くおられるではないでしょうか。

その原因に当たるものとして、
・当たり前のようにされ続けたことでその異常性に本人も気づいていない
・慢性継続的に受けた言動に対し怒るという気持ちより、その言動に対する怯えで縮こまってしまっている
・怒ったところで事態は変わらない、相手は変わらないと諦めている
などがあります。

これら全てが「抑圧」という封じ込み。
その抑圧が少しずつ薄れていくにつれ顔を出しはじめる怒りの感情、それに目をつぶらないことです。

そして怒ってしまうのは辛いけど、自分の中に怒りたくなった種を植え付けられたのは、紛れもない事実。怒っているなんて気持ちや感情があること自体が悔しくて、目を背けてこられた方も多いと思います。

ですが確かにある「怒り」という感情こそがあなたの大事な存在感情です。
その感情である怒りに気づくことからが始まりです。

押さえておきたいこと

ここで少々押さえておきたいことがあります。
抑圧を外したら、とてつもなく大きな怒りが爆発してしまうんじゃないかと思われる方もいるでしょう。

「いつでも怒っていい」または「キレていい」というのは明らかに無責任な怒りの発散。怒りの感情のまま怒り散らす、キレまくるのは自分が怒りに乗っ取られた状態で、結末は怒ったまんまキレたまんまであり、そこに達成感も納得も、それから得もありません。

ですが、怒りたくなる自分には必ずなんらかの訳がある。これほどまでに強い怒りが溜まるほど何かに堪え、耐えてきたと理解し、そこを掘り起こして行くのです。

抑圧を解くということは、「怒り」という感情そのものにフォーカスするというよりも、怒っている「自分」にフォーカスしていき、その真意を読み解くということ。

怒りを抑圧してきた自分に気づき、抑圧せざるを得なかった自分を知る。そのためには、その自分の中にありそうな怒りに耳を傾けていくということ。ややこしいですね。

怒りのワーク

さて、いよいよワークについて書いていきます。
おひとりでも出来るところまで、ノートに書いてみるのも宜しいかと思います。

怒りを整理する

1、あなたの怒りは何についてですか?

2、あなたの怒りは誰に向かっていますか?

「例」としていくつか挙げてみようと思ったのですが、やめます。先入観に囚われずに、ご自分が思いつくまま挙げてみてください。
ノートに思いつくまま、いくつでも書いてみるのもいいですね。
それぞれ、今現在のこと、過去のことを含めて細かく徹底的に書いてください。できれば静かに落ち着ける場所で、しゃべらずに文字にしてみてください。

3、あなたは怒るとどうなりますか?

切れる、黙る、食べるなど、あなたの癖としてやっていることはありませんか?
或いは、過食気味を感じたとき…今思えばイラついてるし怒ってる…と更に気づくことはありますか?
思ってたこと、思いもよらなかった気持ちなどありましたか?
1と2を繰り返しながら3を思い出してみてください。

4、あなたの怒りはどこからきているものですか?

どこから?と聞かれ即座に思い当たる体験がある方、または全くもって思い当たらない方。原因となるものはひとつでないかも知れません。
知らず知らず慢性的に行われてきたことかも知れませんね。

イジメから、親の無関心から、否定からなど、過去の体験や当たり前のようにまかり通っていた状況などを思い起こし感じてみてください。

ここで大事なこと。
これら怒りを自分のこととして、自分が怒っている、つまり自分の怒りだと認めることです。俺が怒ってる、私の怒りだと自認できることなんですが、これが少々難しい。

説明もややこしいのですが、例えば、キレたり怒りを撒き散らす人にはどこか被害者意識があります。親によって被害を被った自分にはその怒りを思い切り出す権利がある、みたいな。その心情に同意できる部分はありますが、それをやり続けたところで怒りの発散にはなれど、終わりはありません。

怒り心頭となる自分のあとからでいいので、その怒りは自分のもので、そういう自分を何とかしたいと思い始めることです。

怒りの中に入っていく

ここからは頭で考えることよりも、心で感じる作業となります。

5、本当に怒りたいものは何でしょう? 

6、その中にいる自分の訴えは何でしょう?

7、怒りのあるあなたをどう思いますか?

怒っている自分にジャッジをせず、その怒りに耳を傾けることです。
簡単に進められるほど生易しいものではありませんが、コツは、色んな方面から何度でも繰り返すこと。おひとりで限界を感じたら絶対に無理しないこと。

カウンセリングの現場では、ここを掘り下げていきます。

ワークの終焉

ワークの終焉は、怒っている自分を感じられ、その怒りに自分が呑み込まれず、押し殺さず、怒っている自分を受け入れられること、怒っている自分のままでいられることです。

何度も言いますが、怒りという感情はとても厄介です。とてもしつこくてどうにも動かすことができないほど大きくて深いものです。でもそのなかにあなたの大切な尊厳や志が詰め込まれています。だから居座っているとも言える。

押さえ込めば押さえ込まれるほど固く強くなってしまう怒り。 ですがその想いをちゃんと理解することさえできれば、それがあなたの志であり、強い後ろ盾となって大きなパワーを発揮できうる主体性となれます。怒っている中にいる「俺」「私」を、正しく発掘することを是非はじめてください。

結局自分はどうなるのか

結局自分がどうなることがゴールなのか?知りたいですよね。何度も繰り返しのフレーズも出てきますが、大切なので読んでくださいね。

これまでのあなたは、本当の自分を隠しているだけで精一杯。ですからそこにあなたらしさはありません。
だって、本当のあなたは怒っているのですから。

いつだって怒りたくなる自分を押さえ込むことにエネルギーを注いでいたら、また時に自分でも止めようがないほどキレてしまったら、本来すべきコミュニケーションや覚える作業に使えるエネルギーがなくなるのは当たり前。

エネルギーがほぼない状態での対話や作業、その時のあなたの状況、それが即ちパニック状態です。
全然アタマ使えてない、見えてない、相手のハナシ聞けてない、何が何だか分からない状態。それは五感が使えていないということ。逆に言えば、普通は五感を基にした言動をし、それを封鎖した状態があなたたちです。

怒ったまんまの自分で世の中にいていいということ、即ちそれが自分らしい。すると今までは我慢していたことに対する見方・考え方・感じ方は変わる。
ふてぶてしかったり、ムカついたままだったりするかも知れないけれど、怒りを撒き散らすというのとは違い、例えば相手の言ってることが分からない場合、「分からなくても悪くない、俺が分かんねんだから」という肯定感のある開き直りで居られる。「クソ~出来るようになりてぇ~」と、それは主体的であり元来の負けん気や粘り強さや素直さは顔を出す。

我慢がないので、どこかすがすがしい自分でいられる。そうなれて初めて溜め込んできた過去からの怒りにも陽の目が当たり、ゆっくり動き出し流れ出すことに繋がります。

自分の怒りに権利が与えられ、自分として生きる自由を見い出せるということ。それでようやくあなたの五感が機能するのです。その奥で牛耳っていた六感・七感が開いたのですよ。
六感・七感が開くことで安心感が獲得され、それによって機能する五感で、自らの問題解決を計れるのです。

どうです?あなたの怒りを解いてみませんか?