1 怒りについて

こちらも参考にしてください:怒り(こころの図書館)

怒りについて

怒り とは本来、健全な老若男女誰しもが抱く感情の一つですが、このページでは、健全な範囲を越えた、強固な怒りについて書いています。

それは、自分では気づかないうちに仕事や人間関係に影響を及ぼしていたり、怒りたくなると制御不能・コントロール不能となってしまうような自分でもどうしようもない怒りのことであり、それらの理解と解決について取り上げています。プライドが高く人に頭を下げるのが苦手だという人にも参考になると思います。

心に怒りのある人の特徴

怒りを持つ人物とは、いつでも怒りを撒き散らしている人というばかりではありません。心に怒りがあっても時に控えめで大人しく、ある場面や仕事などでは「いい人」だったりします。正論や道徳心があり人当たりがよく、頼まれごとはほとんど断らない。しかし自分の中である限界を越えたときは、自信喪失で立ち上がれないくらい絶望してしまったり、または忍耐の箍(たが)が外れて自分でも制御不能なくらいブチ切れてしまう、そんな特徴があります。

両極端に見えますが、どちらの心の奥底にも強固な怒りが渦巻き、まるで海底に眠るマグマの如く、そのエネルギーは強大です。そしてこれらの人々の心の中には、その怒りのエネルギーに比例するようにコンプレックスの塊も潜んでいます。

強固な怒りの種類と特徴

一口で怒りと言っても、それはとても幅広いのですが、ここでは大きく2つに分けてみました。

癇癪系の怒り

自分をつまづかせた道端の石ころやつまづいてしまった自分に対して、叩き割りたくなるくらい激怒してしまうタイプの怒り。
思い通りにならないことや、気に入らないことを許せない子どもが、癇癪(かんしゃく)を起こす様(さま)のようです。

俺は悪くない、私のせいじゃないという自意識が強く、その反面、できないことを恥と感じ、コンプレックスが強く、周囲からの眼に過剰に反応してしまいます。

また、成人している男女であってもどこか幼さを感じるのも特徴ですが、一旦火が付くとDVに見られるような凶暴さがあります。

《例》

●自分のしたことに反論されるだけでカッとなってしまう。
●できてないことを指摘されたり図星をさされるとキレてしまう。
●思い通りにならない状況に激怒する。

これらが表出せずとも、内心でブチ切れています。

我慢・抑圧系の怒り

他より自分を優先する人が許せない、我慢してない人が許せないというタイプの怒り。

当人は、正論や周囲への配慮、法律などルールを守ろうとする気持ちが強く、それを乱す人や従わない人を敵視したり見下しながら、自分に価値を見い出しています。

瞬発的に相手に向かうというよりは自虐的で、それ故に周囲からは分かりにくく、表面的にはどこか大人びて見えるが、実は恨みに近いほど許せないものを持っています。

《例》

●集団の中で周囲を気にせず自分らしく感情を出している人に腹が立つ。
●周囲に配慮のない運転や、自分の前をトロトロ運転する人にキレたくなる。
●年上・上司に媚びずタメ語だったり、生意気な年下・部下が許せない。
●周囲に怯えず我がもの顔でくつろいでいる猫が嫌い。
●こちらが客なのに敬意を払わない店員に激怒する。

どうでしょう?あなたの怒りはどちらでしたか?
実は癇癪系の怒り、我慢・抑圧系の怒りの両方の怒りを併せ持つ方は案外多いです。
以下、説明していきます。

怒りが生まれた経緯と理由

一体どうしてそれほどまでに怒ってしまうのか、その原因の種は、殆ど幼少時代にあります。

癇癪系の怒り

癇癪系の怒りの持ち主たちが、怒ってしまう理由の一番に挙げられるものは、本人の問題解決能力の乏しさにあります。

幼児期には、生まれ持った気質の差こそあれ、自己主張が芽生えると同時に思い通りにならないことへの癇癪も生まれます。これは人間の成長として正しい反応です。が、癇癪への正しい対応がなかった境遇下では、怒りを昇華させる方向に間違いが生じ、発散されず蓄積されていってしまいます。

癇癪に対する正しい対応とは、癇癪を起こすに至った気持ちが受け止められ、叱られ、そして教えられ導かれること。これらがあって物事の分別・わきまえを覚えることができるのです。

癇癪を治めるために安易に慰めたりおだてるばかりでは、「私はできてる筈」或いは「僕はやればできる筈」というような裸の王様となり、頭の中では、出来ないことはダメ、出来ない自分は恥ずかしいというジレンマで一杯になる。それ故に失敗を恐れ、更なる失敗体験の繰り返ししかなくなってしまうのです。

それは結局、自分の等身大の実力・能力を把握できず、出来ないことや分からないことに対する問題を解決できず、また、出来ない自分にキレるような強いコンプレックスや、他者への歪んだ怒りとなって、そのまま大人時代に引き継がれることになります。

石ころにつまづく例でいえば、つまづいた自分を情けなくカッコ悪いと感じているものの、「自分がつまづく筈はない。その屈辱を自分に味わわせたのは石ころだ!石ころが悪い!」と石ころを逆恨みした構図。或いは、こんな石ころにつまづいてしまった自分が許せないとキレてしまう構図になります。

また、それ以上にキレたくなる理由として、「指図」されることへの屈辱があります。それは、幼少時代におだてなどの過保護による甘甘なべったりの親子関係の裏側で、次第に我が子の出来なさ、ダメさにイラつき、いちいち指図とも言える口を挟む親による子育ての結末です。

正しく躾けられなかった自分の至らなさは棚に上げ、「遅い!」「なにやってんのよ!」「そんなことも分からないの?」と叱責と指図だらけ。育っていず分からず出来ない子供には、反論の余地はなく、慌てて従おうとするのが精一杯。自分を愛してくれてるはずの親からの叱責・指図。これが後に制御不能な怒りとなるのです。

これら怒りが爆発してしまう最たる例は、世の中を逆恨みした無差別な通り魔事件などでしょう。また、癇癪系の怒りの基になる対象者は母親であることが多いです。

我慢・抑圧系の怒り

自己中心的な癇癪系の怒りとは対照的ともとれる抑圧・我慢系の怒りについて少々説明したいと思います。

その昔、「お上に楯(たて)を突いてはいけない」という時代がありました。その極意は、徹底的に敬いそれと同一化すること。それにより生存権を確保でき自分の価値を感じられる。なので、その関係性の中から起きる怒りについては徹底的に抑圧し、触れてはいけない。これが家庭や社会における支配の構造、上下関係の基礎。そしてこれがまかり通っていた家庭から、我慢と怒りが生まれるのです。

彼・彼女らからしてみれば、思いを聞き入れてもらったことはなく、当然ながらその支配は自我が芽生える前から起こっていました。強い存在から支配され逆らえない無力な自分。そこに怒りが溜まらない筈はなく、そのストレス・鬱憤は自分より弱い者へ向けられます。「お前らも俺と同じくらい支配されろ」という、それはそれは凄まじい憎しみの塊であり、これが「すり替え」の姿です。それが殺意にまで発展することも稀ではありません。

抑圧・支配が強く、自由を与えられなかった人ほど、抑圧・支配されていない他者の姿が許せなく映ります。陰湿なイジメや動物虐待などもその例と言えるでしょう。また、虐待に遭われてこられた方にとっての怒りとは、自分が気づいていようがいまいが強く激しいものであって、その多くは、怒りの噴出というより救済を黙って待ち望んでいるように思えます。

これら我慢・抑圧系の怒りの持ち主たちの、怒ってしまう理由は、自分のまま居ちゃいけないという自分のままで居ていいという安心感のなさにあります。

癇癪系の怒り、我慢・抑圧系の怒りのどちらにも言えることは、「生きてく力」のなさです。言い換えれば、その生きてく力をつけることが必要。
そしてお分かりのように、我慢・抑圧系の怒りの基となる対象者は父親であることが多いでしょう。

本当に怒りたいこと

つまづいたことを石ころのせいにして石ころを叩き割ったり、自分より我慢しないで人生を送られている人に憎しみをぶつけても、本人の気持ちが晴れることはありません。なぜなら、本当は石ころのせいではない、我慢してない人が悪いわけではないと、無意識下では何となく分かっているからです。では一体、本当は何に腹を立てているのでしょうか。

癇癪系の怒り

問題解決能力が育たないということ、それでは仕事や人間関係に支障を来たすのは当然のこと。では、本当に怒りたいこと、怒りたかったこととは一体何でしょう。

できないことが恥ずかしかった。できるようになりたかった。でもそれ以上に、できなくてもいいんだよとそばで言ってほしかった。
できないことなんて、あるのが当たり前。できないという事実を受け止めることを、一緒の立ち位置でやってほしかった。できない自分の隣にいてほしかった。

できないことは悔しく、できるようになりたかった自分を励まされ、一緒にできるまで教えてほしかった。

ずっと、おだてていたのに、いつしかできないことを馬鹿にされ、その挙句に指図されてた。できてないのを分かっていれば、その指図に逆らえない。その屈辱が怒りから憎しみに変わっていった。

我慢・抑圧系の怒り

親の迷惑になることはしてはいけないと思った。だから我慢することが偉いんだと信じて頑張ってきたけど、世の中はそういう風に評価はしてくれなかった。
みんな好き放題やってる。ルールも守らない。そんな人らが許せない。
自分は我慢してるのに。周囲の人のために気を遣っているのに。
そうじゃなく生きてる輩が許せない。僕は我慢してきたのに。

私に価値はないの?
何故ほっといたの?
僕は居なくていいんだよね?

これはあくまでも感情理解の一例です。人それぞれ、怒りに潜むエピソードも強度も異なります。あなたは何に腹を立てているのでしょうね?

次のページ「2怒りの解決に向けて」もぜひご覧ください。