虐待 ~保護を求めて~(1)

1 保護を求めて

またひとり、10代半ばの少年が、保護を求めてやってきた。 いくらカウンセラーのところとはいえ、200キロ以上も離れた、名も知らない土地に、 何度も迷いながら。 20㎏はゆうにありそうな、自分の全荷物を抱えたその子からは、 計り知れない怯えと恐怖が滲み出ていた。

「僕は家族から虐待を受けています。僕を保護してください。」 彼の言葉だった。 小さい頃から親に虐待を繰り返され、はじめは「僕が悪いんだ」と思い込むが、 実はそうではないことが解っていくのは辛いことでもある。 虐待を意識し始めてからは、図書館で関連本を読み漁り、 児童相談所の存在を見つけるのに数年かかった。 SOS電話・教師・親戚のおばちゃん等にも訴えた。 でも、踏み込んだ対応は誰にもしてもらえなかった。

そして、一番ひどかったのが、児童相談所の対応だった。 彼が受けてきた虐待の主なものは、首絞めとご飯への洗剤混入、 そして食事なしが1年あまり。 殺人未遂と思うほどのことが認められない。 客観的事実が確認されないという・・・ そりゃそうさ、本人以外の家族への事情聴取だからね。

染み込んだ恐怖というものは、 虐待行為の正にその時に、誰かに助けを求めるとか、 或いは証拠を取るなんて、 解っていたとしても、できない。 そんなことをしたら、更に酷くなってしまうのではという不安を生み、 他人になかなか告白などできない。

しかし、それらを一番解っているはずの児童相談所からは、 その気持ちは理解されなかった。 親へのささやかな注意のようなものと、 自分で何とかしろとでも言わんばかりの、圧力を受けた。 どうやら、児童相談所というところは、 明らかに証明できる身体的虐待と見なされる、 幼い子供のためにあるようだ。

「甘えたいと感じる気持ちをなくすにはどうしたらいいですか?」 彼の言葉だった。

2 家からの連絡

うちに来た日の夜遅く、彼の携帯に、家から立て続けに着信があった。 ・・・今までに一度だって電話などなかった。 何の興味も持たれなかった自分に、まるでストーカーのように何十回もの 着信がある。 彼は自分の携帯を、いかにも不思議そうに見つめた。 怯える彼。 絶対にバレないようにしてきたのに… こんなにすぐにバレてしまうとは… 。

仕方なく、おそるおそる電話をかけてみる。 そこで、彼が、家出人として捜索願いを出されていることを知る。 普通なら、自分は心配されている と思うところだが、 どこか、家族が、何かの発覚を恐れているような違和感を感じた。 先手を打たれた!…

捜索願いか…  普通なら、そんなに心配しているんだから帰ろうかと思うのだが、 親の裏の裏を知り尽くした彼は、途方にくれるばかりだった。 親には、私から電話をし、居場所を伝え、捜索願いを取り下げてもらった。 しかし、どこか不自然だと思ったのは、居場所がわかっても、すぐに飛んで 迎えに来ようとする気配が感じられないことだった。

さて…… このままどこか知らないところへ、一人でばっくれるか… 親と対峙するか… どちらにせよ、ひとりでは心もとない。 「ひとまず 寝よう…」 1LDKの狭いマンションに、ひとまず3人で寝ることに決まったのは、 もう明け方近くのことだった。

次の朝、親からの電話に私が出た。 親は、迎えに来るというが、やはり悠長な話しっぷりからは、 対面と世間体が感じるのみ。 明らかに彼への興味・関心は感じられず。 しかしそれに引き換え、彼の怯えは相当なもの。

…さて …どうするか… 正当な権利を取り戻し、安全な環境を手に入れるにはどうしたらいいか… …よし! こちらも警察に行こう! そして彼の保護をお願いしよう! 彼が未成年なので、警察に行ったところで家と児童相談所の 両方に連絡が行くことは承知。 だからこそ、こちらから、一番安全な警察で話そうという作戦だ。 向こうが捜索願いなら、こちらは、保護願いだ。 大っぴらで話しをすることで、堂々と、一歩も引かない態度を 示そうじゃないか!

3 虐待の経緯

彼の身体は、歳の割には、明らかに細くて小さい。 歳相応には見られないことを彼自身も知っている。  …数年前 「僕に○○するのをやめてほしい。」  と、親に意見したことから、親子喧嘩が始まった。 そのとき、親は、ひとくさ言い終わると、何事もなかったように家事に戻り、 次の瞬間、後ろから彼の首を絞めにかかった。 その形相は忘れられない。 幼稚園の時にもされたのと同じ顔…

家庭内での陰湿な行為が続くなか、児童相談所の存在を知った彼が 思い切って電話を掛けたのは、それから一年後。 その時の対応は、上述した通り、親に対する注意のようなもの だけで、児童相談所に対する不信感が募るだけだった。 そんなことがあってから、関係は更に悪化。 彼は親から食事の用意をしてもらえなくなった。 月に500円(!)の小遣いも、もらえなくなった。 貯めていたお金から、コンビ二で買い食いをする日々。 しかしそれもすぐに底を尽き、家の残り物をあさる。 そんな日が一年続いた後、ご飯をもらえるようになったある日、 白米に違和感を覚え、食べ残しを片付けているとき、 それが洗剤だということを知った。

数回に渡る洗剤混入で、食事に対する恐怖は進み、 彼にはとうとう、学校になど行ける、精神的な余裕はなくなった。 買い置きのパンをあさる日々。 一日にゼロ食か1食の生活が続く。 ベットから起き上がれず、頭がガンガンする毎日が一ヶ月続いた。 今思えば、生きているのが奇跡にも思えた。

ある日、登校してこない彼へ、友人からメールが届いた。 自分を気にしてくれる人がいる。 彼はそのメールで、生きようと決意したと言う。 それから再び、児童相談所へ電話。 「音沙汰が無いので、もう問題は解決していたのだと思っていましたよ。」 最初の相談から、8ヵ月後の対応。 この言葉が物語るように、この後も児童相談所の対応には、 なんら解決に結びつくものはなかった。

4 児童相談所

彼と初めて接触を持った時から警察に行くまでの間に、 私達は、彼の町の児童相談所に連絡を取り、彼の今までの経緯について、 当時の担当者と、数回、数時間にも渡り話をしている。 そのやり取りを通して、感想を一言で言えば、全くお話にならない。 建て前と言い訳の連呼。 当時の対応に間違いなしと主張する割りに、細部に触れられることを避け、 執拗に、「今はどうなんですか?」 と、今の状況に話を持っていこうとする。

いやいや、今の状況が悪化したのは、あんたらのお陰でしょ! 事情通から聞けば、心理的虐待に対して役所というところは、 やはり踏み込んだ対応は、難しいという。 証明しにくく、逆に親からの提訴を恐れたり、ある程度の年齢では、 自分で対処できる筈と、たかをくくられてしまうのだ。 『疑わしき場合の一時避難可能』 という一文も、あってないようなもの。 これでは、何の為の、誰の為の機関なのか、全く持って使えない。

そればかりか、土日・祭日は休み、電話にも出てくれない。 その間どーすりゃいいの? 話は脱線してしまうけど、お役所こそ年中無休がいいんじゃない? また、数ヶ所のシェルターに問い合わせをしてみたが、殆どが、 児童相談所を通しての入所しか受け付けていない。 あっても一日程度の滞在可。 つまり児童相談所に認めさすことが先決ということか・・・

それから、テレビなどでも取り上げていた、事情のある子供達を受け入れて くれるような個人或いは民間施設を探してみたが、 思うような安全な住処はなかった。 つまり、未成年の子が親から逃れる為の助けを求めても、 この国には安心して保護してもらえるようなところはないんだ、 という事が解っていくばかりだった。 う~ん、どうしても児童相談所と、もう一度対峙する必要がある・・・

虐待(2)