★勇気など要らない、超自然体になればいいのだ

ものごとの行為、行動に、勇気など要らない。  それより、自分にとっての超自然体はどこか?それを探すというか、 見つかれば、自ずと動いてしまうのみ。

以前に、街角のティッシュ配りについて書いたことがあるのだけれど、 覚えてますでしょうか。 ティッシュ配りに心や気持ちは重要ではない、歩いている人の手の先、 差し出す位置とタイミングで、受け取ってしまうものなんだ、というような話。 少し補足をすると、自分が出来るだけリラックスして、歩いている人の リズムなんかに合わせるような感じで、自然に、ポンと差し出すと、 人間、つい受け取ってしまうもの。 そこに、気持ちを込めてとか一生懸命など要らないし、 通行人にティッシュを取っていただけなくてもあなたのせいではない、 ということ。

人間って、自然体でいると正直になるもので、そこに何かがあって警戒心がなく、 興味が持てれば触ってみたくなる。 自然に、素直な行動や表現をとってしまうものなんですよ。
例えば、好きな人に告白するとき、ドキドキ、バクバクしながらも言えるのは、 正直に好きだから。 例えば、好きな人が誰かと結婚しそうで、簡単に諦められれば、それだけのもの。

また、誰かに何かを言おうとして、どうしても言いたければ言うだろう。 咄嗟だったり、究極の選択の際には、みんな自分を中心に考えた行為をしてますが、 どのバージョンでもおんなじこと。 よし言おうとか、よしやろうと意気込むより、 自分はほんとのとこどうしたいんだ?と、超自然に正直になれれば、 やりたければやるだろう。それを、勇気を出そうとするから、出ない自分を責めてしまう。 やれない自分を、勇気がないとすり替えてしまう。

必要なのは勇気ではなく、正直な自分を意識することです。 例えば、胃が痛む。勇気を出して病院へ行こうとしても、なかなか行けない。 しかし、もの凄く痛ければ行くだろうし、不安でいるのがイヤならこれまた行くだろう。

咄嗟に人助けをする人、あの行動って、 勇気を出したというよりは、日頃の生き方の延長だと思うんですよ。 迷惑行為を注意できないのは、勇気がないからというよりは、 日常の自分の延長だと思うんですよ。勇気があるとか、ないとか、どうでもいい。 勇気を身に付けるより、超自然体になることの方が、 自分の個性が遥かに発揮できますよ!