自己否定感

自己否定も、なきゃ我慢できなかったからね。 自分卑下も、しなきゃ頑張れなかったからね。

例えば、自分のせいだ、自分が悪いと思えれば、引く事も 収めることも出来ますからね。 そうするしか、手立てがなかったのでしょう。 自己処罰も罪悪も、必死に人と交わろうとする、認めて欲しい、 仲間になりたいと思う意地だよね。 それには敬意すら感じるけれど、 生き辛さや不自由を感じているなら、再考した方がいい。

自己否定は後付けの認知、過去に刷り込まれたマインドコントロールなので、 今、もう、いらなきゃ取れる。 しつこく染み付いているけれど、自分に必要がないと解る毎に、軽減されます。 自己否定が入ると、そこで止まってしまいますからね。 例えば、人に騙されたり、フラれたとき、自分のせいだと思うと、そこ止まり。 仕方がないで終ってしまう。

自分の欠点や落ち度を探し改善するのは構わないが、 自分卑下があるのでつい相手の気に入るような路線を目指してしまう。 自分の中の反応に肯定感が持てないので不全感が残るし、 同じことを繰り返してしまう。 いつまで経っても、幸せになれないなと感じ、 そういう自分を、また否定してしまう。 そんな迷路を彷徨っている感じがするなら、立ち止まって下さい。

今まで培ってきた自分の否定感を、大事に扱って、 きちんと自分を振り返ってみると、次第に解ってきます。 自分が、なぜ否定感を持ち続けてきたのか、自分を卑下してしまうのか。 解ってきて、はじめて、どうしようかと思案できるのです。

自己否定、それもいいんじゃない?

自己否定には意味がある。だから、したいだけすればいい。 自己否定には、強い力があります。 それだけで自分のエネルギーを一旦止められ、 自分以外を円く収める効力があります。 そうする為の苦肉の策?そうまでしたい何かが存在しています。 自己否定や自分責め、自己処罰に苦しむことで、 もう誰にも責められたくないという意地が見えます。 自分が自分を裁くことで、誰にも攻められる余地を与えない、 苦肉の防衛壁です。

つまり自己処罰や自分の心や身体を傷つけること、或いは病気になることで、自分の奥から溢れ出る感情や感覚、意識をそらし、平衡を保とうとします。 自分を苦しめることで、人に伝えたいことや得たいものをアピールします。 または、自己否定することで、欲求を押さえます。 でもどれも、すり替えです。 もしも自分が悪くないなどと考えようものなら、そこから湧きあがる感情の凄さ、自分の怒りの大きさに打ち震え、そういう自分の凄さに恐怖を感じてしまいます。

まるで自分が悪魔になってしまうような、ひとりぼっちになってしまうような、そんな恐怖感を抑えるのに、まさしく自己否定は有効です。 誰にも迷惑をかけない究極の抗議であり、究極のファンタジー、自己陶酔がそこにあります。

自己否定には、人の為ではなく自分の為の訳があります。 自己否定をしてまでも守りたい自分の何か、自分の事情、 自分の主張が隠れています。 自分を否定するのって、訳もなくしませんからね。 好む好まないはともかく、確かに意味があります。 気の済むまでやることもよし、そして、否定が済んだら、見えてきます。

とらわれの2パターン

誰でも、不快な気分に陥ることがあるでしょう。 例えば、「こうあるべき」という思いに裏切られた時、「こうあるはずではない」という 不快な気分に陥いります。 その不快な気分に思い悩み、その気分を否定し、それを振り払おうとすれば するほどはまり込む状態が「とらわれ」、エネルギーがそこに偏っていく状態です。

それに執着しやすい方にはあるパターンがあります。 例えば、電話恐怖の場合、電話が鳴った時ドキドキしてしまう。 恐怖や不安などが襲ってきて、その不快感を抑えようと、消そうとする。 けれども一旦感じてしまった不快感を無いものにすることは無理。 にもかかわらず、振り払おうと格闘しその矛盾にとらわれていく。 電話の音が恐怖なのではなく、その時に沸き起こる不快感に。

それは、以前に電話業務で味わった憤りや不満、恐怖など、抑圧されていた感覚を 思い出したとか、母親からひどく叱られ、自分を否定されたと感じたときに 電話が鳴り響いていたとか、そういう経験と結びつく事があります。 それが電話の音と繋がるとその気分にとらわれてしまうのです。

このようにエネルギーが偏っていく状態を「神経症的傾向」とすれば、もうひとつ、 エネルギーがなくなっていく状態の「うつ的傾向」のパターンがあります。 うつになりやすい方は、「こうあるべき」という主観に向かって、頑張って頑張って、 優、上、美、明などを求めて振舞い続け、ある時自分の主観としての理想から、 劣、下、醜、暗などの立場になった時エネルギーが減少、なくなっていく状態です。

例えば、よき妻・よき母を目指し、無理や我慢を美徳と考え、他人や社会を意識し、 明るく立派に振舞い続け、ふと理想より劣っていると感じたとき、または、装うのに疲れた時、何もやる気がなくなってしまう。 或いは、第一線で活躍していたサラリーマンの退職や、大きなプロジェクトを退いた時、 自分を、無用・価値が無いと感じてしまうと一気にエネルギーが減少していく状態。

どちらのパターンにもいえる事は、自分のこころのあるがままを拒否していること。 そしてどちらも共通して、思い込みの価値観から反応しているのです。