事件はまさしく現場で起きていた

子供というものは、その場で感じたままを表現しやすい。 可笑しければ笑うし、怖ければ泣くし、その時感じるまま言動しやすい。 そういう、その時に感じたことを、その場で表現できるということが、 自己納得の秘訣、後を引かないコツでもあるのです。

人間、その時の咄嗟の反応のほうが、自分にとって遥かに正確だし、 危機を逃れやすいのも事実です。 しかし大人になるにつれ、咄嗟に反応する前に考える人が多いのは、 自分以外の人の目や影響が気になってしまうからなんでしょうか。 そればかり重視するようになると、自分の本来したい反応がくすぶって残ったり、 後を引くことになってしまいます。

事件は、その現場で起きていたのです。 だから、自分の不全感を終結させたければ、 その現場に残る足跡を辿り、立ち返ることが大事。 その現場がどういう状況だったのか。 どういうことを考え、どういうことを感じていたのか。 丹念に今の自分が知ることで、ようやく終結されるのですよ。

最善

人の言動は、誰もがその時の最善を生きています。 例えば人と意見が合わず自分の意見を引っ込める時。 相手が正しいと思ったのではないんだけど、もめたくない、嫌われたくない、 いい人でいたいなど、自分の中で優先順位が働いていますでしょ。

あの時こうしていればとか、ほんとはそうしたくなかったのにとか、こうなったのは あの人のせいだとか思っても、その時優先された気持ちが言動を決めています。 不満や苛立ち、ストレスが溜まることも込みですよね。

愚痴を言うなとか自分の意見を貫けと言いたいのではなく、その時のあなたにとって、 そうする事が最善だったのでしょ?と言いたいのです。 小さい頃から、「いい子」を演じ続け、苦しさや違和感、生きづらさを感じてこられた方、 小さかった頃のあなたにとって「いい子」を演じる事は、そうでしかない選択 だったのでしょう? あなたにとってそうする事しかなかったのでしょ?と言いたいのです。

人の言動は、その時点において、その人にとっての最善な選択でしかないのです。

選択の基盤

全ての事象、全ての過去は自己の選択です。 それは、その時その瞬間の考えうる中から自分が選び実行したことです。 が、しかし、そのフィールドが 『自由』 だったとは限りません。 例えるならば、支配的な親の基に育つ子供に、何でも発言でき、 行動できる自由はありません。 それがその子の全世界です。

言ったら叱られる、殴られる、又は取り合ってもらえなくなれば、発言などしなくなります。 そのフィールドは自由ではありません。 例えば、今ここでお金を渡さなければ殺される。  そしたらお金を渡す以外の選択肢はなく、その瞬間に  ~たら ~れば はないのです。

人間の境遇や、降りかかる事象は、みな平等ではありません。 全てが自由なフィールド上の選択ではないのです。 しかし、その中での選択は、必ず自分の思いに沿っています。 大事なのはそこです。 「その状況下で、何らかの判断の基に自分が選択をした」 ということ。 そしてそれがあなたの志なのです。