承認について

人は人に、何故それほどまでに執着するのか。 世話を焼いたり、貢いだり、尽くしたり、押し付けたり、変えようとしたり、 それで傷ついても止めれない。 それは、自分が認めて欲しいからなんだろうな。 全然、悪いことじゃないと思う。私もやってきたしね。 けれど、それは他力本願、責任逃れだと思う。

人から承認されることによって、ホントは自分が自分を承認したいのだろう。 自分が自分であることを確認したいのだろう。 その為に一生懸命に人と関わる。自分の為に。 ありゃ?そこまで気づいてしまったら、他力本願ではいにくくなる。 ・・あぁ、自分かぁ。・・あぁ、自分の為なんだぁ・・ と気が付けば、 あんまり、人に執着して、 ああしろこうしろ、あんたの為なんて言えなくなってくる。言いづらくなってしまう。 そうなってくると、素直に表現するしかなくなってくる、自分の為だからね。

でも、それが出来ずに苦労してきたのだから、簡単にはいかない。 そこから脱するには、自分を深く見つめざるを得なくなる。 自分の為に、真剣に悩んでみるしかなくなる。この過程がカウンセリング。 深く自分を見つめなおし、感じなおし、自分を承認していく謎解きの時間。 でも、今、見つめたくない人は、今のやり方で、頑張ってみたらいいと思う。 めげずに、外に求め続ければいいと思う。 自分には今それが必要だからそうするという自覚が、 今の自分を承認することなのだから。

自分は必要か

「自分は必要か」という問いに答えを見つけようとするとき、 他人にその承認を求める人は多い。 つまり、人とつながれたり、関われたり、受け入れられたり、 認められたり、求められたり、 「自分が人に必要とされているかどうか」で自分の必要価値を見出そうとする。 それはごく自然な発想なんだけど、 その欲求があればあるほど、自分にとって都合のいい人を探してしまうものだ。

例えば頼りたそうな人、甘えたそうな人、困っていそうな人、そういう、 いかにも自分が役に立てそうな人を引き寄せる。 しかしその関係性では、多くの場合、いくら尽くしても満たされない。 必要とされっぱなし、使われっぱなし。 そりゃそうだ、承認を求める相手が違う そっちじゃないよ! 必要としてくれる人は、やってくれるあなただから必要なのであって やってくれることが当たり前なので 逆にやってくれなければあなたの価値が落ちるだけ。 出会いの瞬間から、お互いのスタンスが決まっていたからね。

「自分は必要か」 その答えを求めるとき、自分に無理をしていては、 いくらやっても落ち着きどころはない。 無理をしてまでも欲しいものであるに違いないが、問題は、 「無理をしてまでも相手に沿わなければ、自分には価値がない」 と 自分自身が思い込んでいることにある。 無理をしなければ必要とされない関係では、芯から落ち着ける安堵感はない。

これ、親との関係でそうだったではありませんか? 欲しいのは、ただそこに居るだけでいいという安心感。 無理などしなくても、無条件に受け入れられる安心感。 その手応えを掴むには、内なる自分に聴く他ない。