ジェンダー

ジェンダー

ジェンダーに苦しむ方はとても多いです。しかしその苦しみがジェンダーだと気づかずに自分を責め、自分を変えようと必死な毎日。でもやってもやっても効果なし。それがあなたのジェンダーだと気づかなければ、あなたらしさは埋もれたままです。

ここではジェンダーについて正しく理解し、ジェンダーを通してあなたのアイデンティティについて再考ください。

ジェンダー(gender)とは

先ずはじめにジェンダーとは何か?説明していきましょう。
ジェンダーとは、生物学的な男性・女性という性別(sex)に対して、社会やそこに根付く文化・風習によって派生した性別役割(gender)であり、生物学的な男性・女性にとって、その社会の中でふさわしいと見なされる思考や行動を指します。

例えば「トラックの運転手は男」「料理は女」がやるもの、或いは「男はブルー」「女はピンク」などのこうあるべき男・女のことで、世間の中で慣習化された職業選択、ファッション、言葉使いから役職までに及びます。

ジェンダーというものは、「その社会の男性と女性に対していかにあるべきか」という絶対的な世間の目によって反映された価値観です。それは国や文化の違いによっても変わり、また不変ではなく、そのため国によっては、ジェンダーに基づく偏見や不平等がまかり通ってしまうのです。

例えば、ネットでもよく見かけるパキスタンで頻発する名誉殺人。これは、政府の法律より部落の慣習が根強く、家族が決めた相手以外と結婚したような娘を、その親などが、一家の名誉が汚されたという名目で殺害してしまうことです。差別どころではない人権無視。ジェンダーの公平性は、そういう意味においてはまだまだ全世界の課題なのでしょう。

ジェンダーとは、意外と気がつきにくい「らしさ」を無意識に押さえ込んでいる不毛で必要のない、だけれども、自分というものを理解するのには、とても重要な意識です。

トランスジェンダー(transgender)

トランスジェンダーとは、生まれもっての性(sex)と、自らの心(アイデンティティ)が一致していないことを自認する人の総称です。いわゆる身体の性別と心の性別が一致せずに違和感を持ち、ジェンダーのあり方に疑問を感じながらも、それに囚われない生活を望んでいる人のことです。

単純に下記に記した性同一性障害、トランスセクシュアルの人など、男 女という性別を越えた生き方をしたい人を含め、より広義に解釈されて使われているようです。

性同一性障害とトランスセクシュアル

性同一性障害とは、トランスジェンダーのなかでその違和感に悩み苦しんでいる人たちに対する医学用語です。が、実際にはそれらの人々が障害や病気だということではないように思います。

なぜなら、自分のアイデンティティを尊重しようとする彼らの性自認は、とても当たり前なこと。それに従って自分らしく生きるため、ホルモン投与や外科治療などの医療を受け、自分のアイデンティティに合致した身体を求めることは、人間の権利だからです。

このような性同一性障害に苦しみ、身体の性を心の性に変えて社会生活を送りたいと望む人を、トランスセクシュアルといいます。

セクシュアリティ

ポスター画像[1]さて、ジェンダーの基となる性(sex)についての説明が先決ですね。

性(sex)とは、ご存知のように女性・男性が一般的。ここではその性について少々書いていきます。

セクシュアリティ(sexuality)とは

セクシュアリティとは、その生物学的性(sex)における性的指向のことであり、異性愛・同性愛・両性愛などがあります。

例えば、自分は生物学的な男で、女性を恋愛・性愛の対象とする、または女で、男性を恋愛・性愛の対象とするのが異性愛者であり、これを好む方が多数。
男と自認しながら男性が恋愛・性愛の対象となる同性愛者(ゲイ)
女と自認しながら女性が恋愛・性愛の対となる同性愛者(レズビアン)
そしてどちらも好きになるのが両性愛者(バイセクシュアル)と呼ばれます。

ここに揚げた以外にも、恋愛感情や性的欲求に興味がなかったり、自分でもよく分からないなど、セクシュアリティは多様です。生物学的にオスかメスか(sex) は個人的意識で選べなかったとしても、どのような恋愛や性愛の関係を持ちたいのかという指向があなたの自認で決まるのが、セクシュアリティです。

セクシュアル・マイノリティ(sexual minority)

セクシュアル・マイノリティとは、社会のなかでこうあるべきだと多くの人が思う性のあり方に当てはまらない人たち、つまり自分の性的指向が社会の規範や制度に相反する人たちのことを指します。それは、上記のゲイ・レズビアン・バイセクシュアル・トランスジェンダーと性同一性障害のような「性的な少数派」のことでもあります。

私たちの社会には「性のあり方」に対して「普通」か「普通じゃない」かを多数決で決定づけられたような規範があります。上記の異性愛者以外の人たちがそれに当たり、私たちは、その人にとっての「自然」な性指向を、「良くない」とレッテルを貼ってしまいがちです。

長年の通説で刷り込まれた無意識な差別が、これらの人を苦しめてしまうのですが、実は動物界において、同性間の性行為やカップルが多数見られることから、これこそがこの世界の真理なのではないでしょうか。

私たちの社会では異性愛が前提として語られることが多く、社会制度も異性愛を想定しているものが殆どです。ですが実際には、個人的な意志ではどうしようもなく変えようがない個体差によるもの。尚且つ尊厳にまで関わるデリケートでパーソナルなものであり、それを規制していい筈はないのです。

ジェンダーとアイデンティティ

20120214125326[1]さて、前置きが長くなりましたがいよいよ本題です。

未成熟なアイデンティティのなかで、「こうあるべき男性像・女性像」に縛られ続け、自分のジェンダー、自分らしい個性を押さえ込み続けてこられた方はとても多いです。

それは、家庭や職場での役割や責任の重圧、心のあり方や意識の持ち方・考え方、コミュニケーションの仕方にまで及ぶ「男らしさ」「女らしさ」によって、「自分らしさ」を押さえ込んでしまったのです。そうです、冒頭に挙げたパキスタンの風習の一端が、私たち社会の中にも忍び込んでいるのですよ。

ジェンダーと差別

例えば、俗に言う「男らしさ」。古来日本における男尊女卑は、女性軽視のみならず、男性にとっても「男らしくあれ」と言う縛りがあり、それに属せない人にとっては、その「男」というカテゴリーから落ちないよう、それはそれは大変なのです。そしてジェンダーに苦しむ人は、案外、女性より男性に多いのです。

話は飛びますが、1960年代にアメリカで起きた女性解放運動「ウーマンリブ」。男女平等の名の基に、女性の社会的な地位向上を求めて起こした運動こそが、ジェンダーの前身です。それから半世紀以上経つ今、日本においても、女性の社会的地位はある程度の勝利を収めているでしょう。俗に言う女性らしさ。しとやかに後ろに控え、意見は言わず黙って従う。家にいて家事をし育児に専念する。それが窮屈でキャリアウーマンとして社会に進出できる自由を手にしたということでしょうか。

「女はこういうもの」という社会的概念を外せ言動の自由を手にでき、女性の社会制度も枠が広がりはじめた。でもそれはまだまだ始まりでしかない。離婚や子育ての負担は未だに片手落ち。その名残は根強いです。

ここでそのイメージを男性にスライドさせてみましょう。
一般的な男らしさとは…力強くたくましくて堂々と、積極的に前に出る。自分の意見を持ち、誰からも屈しない。外で遊ぶのが好きでスポーツが得意…ハァ、とタメ息がでてしまう男性の方いませんか?もうたまりませんよね。

うちの夫もそのひとり。子どもの頃から強く元気にたくましく、泣くな頑張れ、へこたれるなと、その空気を押し付けられていた。夫の、怖がりで神経質で、おっとりゆっくりの性質は打ち砕かれ、男らしさを目指して頑張った。男子からもいじめられないよう、女子からは、オスとしてモテるように必死に頑張ったけど、全然上手くできなくて、どんどん神経質になり不安に呑み込まれ、絶望的な心持ちになっていった。自分のアイデンティティが、ジェンダーに呑まれていった。

ジェンダーとは、男らしさ・女らしさとしての役割に限らず、子どもらしさ又は大人として、などもある。自分も苦しんでいるのに他人に、(自分の子どもであっても)知らずに押し付けてしまう。それがジェンダーなのだと気づかずにね。

ジェンダーフリーとアイデンティティの確立

またまた小難しい話ですが、私たちの資本主義国家という国は、自由競争によって利益を生む経済原理の社会です。資本家と労働者とが相互利益によって成り立ち、誰もがその両方の立場になり得ることができ、得た利益をどのように使うのかも自由なのだ。

つまり個人の自由な考え方や感じ方に基づいた行動ができる社会、であるからこそ格差も生まれ、貧富の差も生む。不平等も不公平も生まれる。ちなみに、大雑把に言えば資本主義の反対が社会主義や共産主義というもの。

ジェンダーフリーとは、誰もがジェンダーに囚われずに自分らしく生きられること。そこに差別や偏見があってはならないが、だからといって誰もが何でもかんでもが平等・公平な世界は、どこかおかしくないだろうか。

自由とは、男女の性に関わらず、自分のアイデンティティに従って、言動の自由を行使しながら生きられること。男らしさや女らしさに縛られずに、自分の自尊心が守られることです。

男がメソメソしたっていいじゃない。
力仕事に自信がなくったっていいじゃない。
お化粧やキラキラが好きでもいいじゃない。

でかい女がいたっていいじゃない。
声が低くても、家事が苦手でも、子育てが苦手でもいいじゃない。

でも、それらを手に入れるのは、あなたの手でしかない。この不平等で不公平な世界の中で、他を意識し、他と比べ、その中からきちんと自分のアイデンティティがなんたるかを見極めること。不平等・不公平を恨み戦うのではなく、それに屈せず、そこから抜け、誰にも邪魔されない自分でいられる自由を手に入れること。その為の努力をすることです。

あなたのアイデンティティこそがあなただけのジェンダー。それを誇らしげに思っていい。そこにこそ、あなたの生きる意味があるのですから。