アディクションの種、ストレス

赤ちゃんが泣いてる写真

人には漏れなくストレス体験がある

ストレスとは赤ちゃんが、お腹が空いたぞ、おしっこが出たぞという時のように、それまで保たれていた状態が崩れた際に生じる反応で、その殆どが不快感。故に私たちは、それを防御あるいは排除しようとするのです。

たいがいの人にはストレス経験があります。たったひとり無人島で暮らしている訳ではないのですから、人と関わっている以上自分の考え方や嗜好と同じということはあり得ない。そこで、自分の気に入らないことや嫌なこと、或いは我慢せざるを得ないことなど、自分の意に反する出来事に遭遇してしまう。そしてたいがいはそのストレスを、元の状態に戻し心地よさを取り戻そうと試行錯誤します。

例えば、親しい人に愚痴を吐くことだったり、美味しい物を食べたりお酒を呑んだり、カラオケで発散したり買い物をするなど、自分が楽しいと思うことをする。思い切りすることでその憂さを晴らしたり、回復を図ろうとする。皆さんも過去に思い当たることはありませんか?

ストレスはそりゃないほうがいい。少ないに越したことはないのですが、その気質と関係性によっては避けられずに増していくこともあります。

さて、膨らむストレスとアディクションとの関係とは…話を進めていきますね。

アディクションとは何か?

空のグラスの写真

慢性的なストレスのバランス

アディクションとは嗜癖(しへき)のことであり、一過性のストレス発散では間に合わないくらいの連続的なストレスを浴びている場合に、それを抑制したり軽減しようとするために用いる日常的習慣です。

よく知られるものとしては、アルコール・たばこ・ギャンブル・薬・ゲーム・過食・自傷、そして買い物や仕事や性行為など、それがないと自分のストレスを抑えきれず、それに没頭することで自分のストレスから逃げられる働きを持つもの。そしてその怖さに気付いている方は少なく、また気づいたときには時遅しとなっている場合が多いのが実情です。

私たちは、例えばアルコール依存症などというような人を客観的に見ることはあるでしょう。しかしそれが自分も同じだとは思わず、人事であって自分ごとだと思えないことが怖いところなのです。どうしようもなくなってしまった状況下で初めて気付かされることが多いのもこのためです。

それは、慢性的なストレスの裏側にあり、そのストレスとのバランスを取るための天秤棒の役割を担っているので、知らず知らずのうちに依存してしまう中毒となっていくのです。

依存症について

灰皿の写真

アディクションの怖さ

日常的・慢性的なアディクションの怖さは、気付かぬうちに慢性的になってしまうことにありますが、その病質は、その結果を分かっていても、「このくらいなら大丈夫」「自分はいつでも止めれる」と自分を過信し、目の前の快感で誤魔化してしまうこと。また、「オレは悪くない」「いつでも死んでやる」など自分のコンプレックスからくる怯えを怒りにすり替え、正当化させながら、せっせとアディクションに励んでいるところにあります。 

DVなどはこの最たるものであり、その被害に遭っていることに気付かず共依存関係となられる方も多いですが、その被害者もまたアディクションの持ち主なのです。

自分の意思とは思えないほどの誘惑

たばこ(ニコチン)を止められた経験のある人がよく言われます。3年経った今でも夕食後、ふっと吸いたくなることがある、とね。それほどの中毒性のあるのが依存症ですが、ニコチンやアルコール・麻薬などのように、身体にも中毒性を有してしまうものもありますが、多くはメンタルが正常に保っていられず、何かに寄りかかるしかないという状態で、その苦しさは、まるで無間地獄のようなものでしょう。

このような状態になられる人の特徴は、その本人の価値観の中に、~あるべきという極度の抑圧があり、その縛りから自分を必要以上に大きく見せようとしがちです。しかしその無間地獄のようなストレスをやり過ごすためのバランスを取るべく、必然的にアディクションを生みだし、必死にすがってしまうのです。

回復に向けて

パチンコ屋の写真

アディクションに気付くこと

日常的に生きづらさを抱える人の殆どにアディクションは存在します。苦しいながら長い年月を耐え続けている人には、おそらくそれをやり過ごす為の何かが存在するものです。アディクションとまでは呼び難いものでも、確かにあなたのストレスのバランスを取っているものに気付いてください。

そう言えば、いっつも飴を食べてるわ。チョコレートがないと落ち着かないわ。スケジュールが埋まらないと落ち着かない。車のハンドルを握ると人が変わる。なんでも買ってしまう。暴力夫を放っておけない。仕事だもの徹夜も休日出勤も当たり前だ。子どもの為なら何でもするわ…とね。

先ずはその存在に気付いてください。いかに日常的・慢性的にその行為を繰り返し、或いは完璧なまでにのめり込んでいるか、そしてその行為に助けられているかに気付いてください。そしてそれをしなければ落ち着かず、それをすることで何とか保っている事実を認めてください。先ずはそこからがあなたの苦しみから抜け出せる入り口ですからね。

アディクションを止めることが目的ではない

アディクションは、ストレスなくして存在しません。つまり、ストレスに目を向けない限り、そのアディクションを取り去ることは出来ないのです。

リストカットを繰り返す人が、その瞬間だけが生きてる実感を味わえるという話を聞いたことがありませんか?パチンコしてるときだけボーっと日常を忘れられるって聞いたことありませんか?

だもの、その行為を止められないって訳ね。でも、それをやり続けることで解決はなく、つまりはそのアディクションの裏側にあるストレス、本当の気持ちや想いなどをちゃんと話していく必要があるのです。

ではアディクションの原因であるストレスの根っこは何か?それは根底に宿る「不安」なのです。

あきらめないこと・見捨てないこと

ケーキの写真

中毒なまでにしている行為を会話に変えていく。これが依存症の解決法です。が、会話と言ってもそれは、はじめから穏やかな会話にあらず。スネやふてくされ、イライラなど感情の爆発や、リバウンドの繰り返しの中で、進みます。だから時間が掛かるのです。

その力はすさまじく、依存症が進めば進むほどその回復は、その本人の力より、側で支える人の執念次第といってもいいくらいです。そして回復の目的地は、「安心感を取り戻すこと」です。あなたのおそらくは幼少期から抱える不安感を安心感で塗り替えるのです。もっと言えば、一度も味わったことのない安心感を手に入れること。それは大きく言えば、きちんと育てなおすこと。

はい、回復にはそれなりの時間が掛かるのです。でも少しずつでも不安が払拭されるごとに、安心感の芽、自尊心は必ず顔を出し始めます。そうすればしめたもの。それを自分でも育(はぐぐ)むことができるようになると、そのスピードは加速しはじめます。

依存症は治ります。しかし、必ずサポートが必要です。やみくもに治そうとする精神科医や親では無理ですよ。安心感を持つ第三者の力を借りてください。アディクションという癖を治すこと自体に意味はないけれど、それがある限りあなたの人生の好転はなし。扱ってくれる人を探すことからはじめてください。