学校に馴染めないあなたへ

校舎のイメージ

不登校に悩み、苦しむ方は多いと思います。このページでは特に学校について、私のスクールカウンセラー経験を基に書いていきます。学校に違和感をお持ちの方、不登校に苦しむ方、是非ご参考ください。

不登校の中にいる方、是非とも自分の中の違和感に蓋をせず、自分の中で何が起きているのかを静かに見守って下さい。その違和感こそがあなたの大切なアイデンティティ、どうぞ摘まないでください。

《アイデンティティ》

アイデンティティとは、自分の内面的な個性といいましょうか、自分を定義できる自分の視点のことです。その視点があれば自分は揺らがず、それを確立できることで、自分が何をしたいのか・すべきかが見えてくるのです。またアイデンティティは、周りの意見や環境によって左右されながら、また変化しながら確立していくものであり、その揺らぎを阻止しない見守りが、成長過程においてはとても大切です。アイデンティティの確立は主体性を生み、それがないうちは不安定で、自分の志(こころざし)を立てることはできません。

学校とは

学校の廊下の写真

人はみな、家族という最小の社会から学校という少し広がった社会を経て、いわゆるほんとうの社会へ巣立っていくのですが、その通過点にあたる学校のなかで、自分のアイテンティティを確立しきれずにもがき苦しむ人は多いです。もがくという状態、それはある意味正常なことではありますが、その混乱の中で自分を見失い途方に暮れた状況がいわゆる「不登校」です。

学校社会…そう、まぎれもなくそこは、自分の存在が守られながら確立できる場所であるべきですが、大勢の中において避けられない比較と評価により、優劣の順位がまかり通っているのも事実です。

家庭を離れ最初の社会である学校のなかで、数々の体験自由発言規律の尊重、これらが学校と保護者の両面で守られていることこそ、子供たちの個性が輝けるのです。

指摘と批判の違い

勉強してる写真

運動オンチがあれば勉強オンチもある。

「褒めて伸ばす」、大事なことです。しかしその伸びが、自らの楽しさや興味でない限り、頭打ちになります。

大勢が同じことをすれば自ずと順位が付きます。1番からビリまで比較が生まれるのは当然のこと。ビリをバカとの指摘も自然なこと。しかしそれが人として劣っているのではない、オンチなだけです。

褒めたければ褒めればいい、批判したければそれもいい。ですが、天才の芽を出したければ、事実を指摘し、待てること。そんな家庭であれば子供の会話は弾みます。

「キレる」ということ

キレる男子生徒のイメージ画像

大事にされた記憶が我慢を覚える

「簡単にキレちゃダメ」と言われます。でもね、キレたくなるにはそれなりの訳があるんじゃないですかね。その訳を聞かず、その理由を理解してもらえなかった子供に、そういうのって酷ですよね。

ちゃんと聞いてもらえた子供は、我慢を覚えます。自分を大事にしてもらえた記憶が我慢することを教わります。気持ちが満たされること、それを味わったことのない子供がキレるということを大人は知っているべきだと思います。

区別と差別

生徒たちの写真

可愛そうと思う気持ちも差別の一種

違いを表すために呼び名がある。「犬」と「猫」、「男」と「女」。そういう区別には良いも悪いも上も下もありませんが、それに優劣意識が加わると差別になります。男尊女卑などの考え方です。

差別とは人の意識によって作られるもの、その人の価値観によって生まれるもの。だから差別意識があるのはある意味自然なことです。可愛そうと思うのも、助けたいと思うのも自然なことです。ですがそれらがどういうことなのかを把握できていないと、自分や相手がなぜ傷ついたり悲しんだりするのかが分からなくなります。

子供は残酷なまでに思ったことを口に出します。しかしそこには優劣もなく、ただ思うから、感じるから言うのですが、しだいに自分の社会が広がるにつれ優劣を覚え、まさしく批判し、批判されないように規制しあうことを覚えていきます。区別か差別か、その境目はその子供の中にあるありのままの自分の満たされ感に比例します。

逃げるということ

教室の写真

逃げることは勇気がいること

退学を逃げだと言う人がいるが、果たしてそうだろうか。そのそも逃げることは悪いことではない。仮に自分が逃げたいと思ったとき、その自分に従えることは逃げと呼ばない。問題なのは逃げてる自分に気付かないことや、逃げてることを認めずに誤魔化すこと。

逃げちゃダメという価値観があると、踏みとどまる我慢、努力を強いられますし、耐え切れずに逃げてもそういう自分を責めてしまう傾向があります。大切なのは自分を裁かずに、自分がどうしたいのかを把握できること。そんな自分に従えることです。

逃げたければ、思い切り全力で逃げてください。今の自分が、「辛い」「もう嫌だ」と叫ぶことを許可してください。逃げることこそ勇気がいることなのですから。

卒業証書は重い?

卒業証書のイメージ写真

紙切れ一枚に縛られないこと

高校では授業時数が不足すると留年又は退学を余儀なくされます。義務教育ではないので仕方がないことです。それゆえ初めから多少の覚悟は必要でしょうが、初めから想定して入学するわけではないので、そうなったときどういう選択をするのか、それが問題なのです。

この社会、まだまだ学歴社会なので、就職の幅が狭められることはあるでしょう。しかし世の全ては自分次第、通信制高校・大検取得などの方法もあるし、社会人として生きればいい。曖昧に在学し続けることより、退学後それに気付くほうがよほど価値があるでしょう。

中退を薦めるつもりはありません。しかし紙切れ一枚に縛られず、自分の人生を掴んで下さい。恐れずに行動してください。

孤立が怖い

教室の写真

あっちでこそこそ、こっちでこそこそ

多くの人は孤立を嫌います。協調性ありきと教えられてますし、周りの目が気になるのです。特に新しい環境ではそれを試されます。友人が出来ないことを恐れ自分の感情を抑え、表面的な人間関係の構築に没頭することも珍しくないでしょう。

表面的な結束では本音は出せず、心底安心できない関係の中、水面下では中傷合戦が生まれます。それが1人に向くのがイジメです。あっちでこそこそ、こっちでこそこそ、気持ちの安らぐ場所はどこにあるのでしょうね、でもだからこそグループの結束は強まるのです、そう表面上はね。

この紛れもない社会の縮図、その中で分かれる3つのタイプ。1、世の中そんなもんだ、とこの構図に溶け込んでいく。2、おかしい、おかしいと感じてはいるが自分が分からなくなり悩んでしまう。3、独りでもいいと覚悟する。

教員の派閥意識の強い学校であれば、生徒にも影響が出るのは当然のことでしょうね。

コーチングと支配のすり替え

コーチングと支配のイメージ写真

部活に見られる支配の構図

特にスポーツの強豪校にたまに見る。飴と鞭(アメとムチ)、支配の構図。それでは絶対に一流にはなれないけど、そこそこはいける。だから惑わされる。

我慢や頑張りは、強いられて身につくものではありません。楽しさと悔しさ、ひとりひとりのモチベーションと相互の信頼なくして勝利の喜びはないでしょう。

才能あれば勝手に伸びる、それで潰れるようではそこ止まりですからね。

やり遂げることは重要?

体育館のイメージ写真

ギブアップ、路線変更OKです

やり遂げられることは重要か。それに縛られて本質を見失ってはいけません。途中で辞めたら中途半端な癖がつく?嫌々やってなんになるのだろう。

人間面白ければ徹夜でも平気。ゲームやカラオケ、朝まで平気。例えば運転免許、何度落ちても諦めないのは、免許が欲しいからでしょ。自分の欲求が向いているから、勉強に興味がなかった子でも頑張る、そんなもんでしょう。

ただゴールを目指すのではなく、自分が楽しめているか面白がれているか、その感覚が大事。そうでなければ、途中リタイアはむしろ近道なのではないでしょうかね。

立場を外せ

教壇のイメージ写真

本音で話すのに立場は必要なし

本音のぶつかり合いが少ないのは、立場ありき、正論ありきの大人が増えたからかもしれませんね。強制や罰がどれほど無意味か、子供たちは知っています。どう力説しても上辺の教育に、子供たちはなびきません。

学校は挑戦の場です。何度でもぶつかれる場です。本音とは正直な気持ちのこと、先生、親御さん、あなたたちこそ、立場を外して互いに思い切りぶつかって見てはいかがでしょうね。

親と子

夕方の校舎の写真

自分がこの世に存在していていいのか という確実な承認

当然のことながら、人の生き方はその人の生い立ちや幼児期の関わりに深く影響している。その環境は操作出来ないので、親やそれに代わる人の価値観や教えはそのまんま伝わっていく。親を選んだのか親から選ばれて生まれてきたのか、そこにどんな意味があるのかはわからない、しかし自分の人生、生き方は自分で選択できる、変えられる。その為に生きてるのだから。

子供の問題行動は、殆どがその親子関係の投影に過ぎません。拒食・リスカ・非行・うつ、その全てが「自分はこの世に存在していていいのか?」という承認が欲しいのです。そうするしかないことを、誰でもない自分の親に気づいて欲しいだけなのです。

もし自分の中で何かがザワザワし始めたなら、その内なる声に耳を傾けてください。助けて!教えて!苦しい!と口に出してください。

内に入るか外に出るか

理科室の写真

抑えよう、治そうでは問題は解決しない

拒食やリストカットに走るのは、苦しみの行き場がなく、自分が生きてる実感を味わいたいからです。つかの間の生きた実感の後にやってくる罪悪感は、自分が悪いのだから、更に頑張れ・耐えろという、終わりのないスパイラルの原動力にすりかえられて行きます。それしか術を知らずそうするしかないからなのに、それを見つけた大人たちは、それを責め止めさせようとする。…内側に入る自己表現です。周りは「弱い子だ」とレッテルを貼ります。

非行、暴力、問題行動…親や先生はこれらを極端に嫌い恐れる。理解されない気持ちのやるせなさがわかりますか?…外に出る自己表現です。周りは「悪い子だ」とレッテルを貼ります。

内側に入るか外に出るか。表面的な行動や症状などを問題にして、それを抑えよう・治そうとしても何の意味もありません。本人をさらに追い込むだけです。何故そうしてしまうのか本人にもわからないのです。殆どは環境(家族)の歪み、緊急事態が起きているのですよ。

高校生に伝えたいこと

街の人々の写真

学歴社会はもう古い

高校は義務教育ではありません。いやいや行くなら辞めてしまえ。楽しくないのに無理に行く必要はない。高校は予備校じゃない、大学へ行きたいなら、ボーダーフリーの誰でも入れてくれる大学は結構ある。

自己主張してください。要望を出してください。話し合ってください。そしてダメならボイコット、こちらから願い下げてください。

親と とことん話し合い、理解が得られないなら家を出てください。自分で生きていく覚悟をして下さい。自分らしく生きたければ、もっと広い世界に飛び出してください。この世の中、あなたの居場所は必ずあります、それを見つけようとすることです。

ちっぽけな学校社会の枠組みの中で学歴にしがみつくより、フリーターでもニートでも、その立ち居地に立ってみてそれを味わうほうが遥かに意味がある。もしも自分の甘さが、無知さがあると気付いたなら、それが自分の経験値となって次の布石となるだけだから。

言ってみることやってみること

水飲み場の写真

結果の善し悪しじゃなくて決着がつけれる、ふっきれる

学校は、社会の中でみんなが仲良く生きていく為に必要な事を学ぶところですが、案外、気持ちはおいてきぼりです。みんなで同じことをしていく中で馴染めないと、協調性がないと言われることは多く、その気持ちは重要視されにくい。

中学校までは不登校であろうと卒業できます。そういうシステムですので、もし何かにつまづき不登校になってしまったら、無理に行こうとせずに立ち止まって考えて下さい。高校に入ればなんとかなるだろうという安易な考えはやめた方がいいです。行きたくないのには何かがある。その何かを押し込めたり、その気持ちを無理に追い出そうとせずに、そういう自分に関心を持ったほうがよいでしょう。

高校は義務教育ではないので辞める権利、辞めていただく権利があります。しかしその前に生徒は客ですから、お互いギブ&テイクでなければなりません。大学へ行きたければ大検という方法もあります。合う方法、納得する道はあります。

言ってみること、やってみること。それは親にも子にも言える事。試してみて解ること、世の中のこと、親のこと、大人のこと、学校のこと。ダメだわ~と打ちひしがれることもあるし、干されることもあるけど、たまには話せる大人や先生に出会えることもある。そりゃ、めっけもんですよ!

いじめについて

下駄箱の写真

逃げなさい

イジメはイジメるほうが悪い。ただし理由はある。またイジメの加速には、当事者以外のそれを取り囲む人たちの関わり方が大きく影響を与える。どちらかに味方したり、あおったりね。または、見てみぬフリ、知らん顔。

誰にも知られないイジメはない。友達だったり教師だったり、そこには少なくともイジメの空気や臭いを感じている。イジメの終息に置いて大事なのはここ、でも周囲の対応次第でその結末の差は大きい。

教師や親は納めることに終始しがちになっていないか。常日頃、頑張れ・負けるな・へこたれるなと子供に教育していると、子供はイジメられる自分を責め、親に言いにくくなります。もっとケンカというかとことん話をさせたらいいのに。

イジメはこの社会の縮図です。イジメの構造って、子供に暴力を振るう親父とそれに対してビビっている母親の関係と同じです。子供は親父に なかなか応戦できにくい。しかしそれを陰でなだめたり、見てみぬふりをする母親の言動が、問題の重要なキーなのですよ。

弱いからイジメられるのではなく、イジメられる自分が弱いのでもありません。その意識が自分を苦しめます。情けない自分はなんにも悪くありません。逃げなさい。

イジメをなくすというのは、強いものが弱いものを助ける、守るということではなく、そういう、強い弱いという差別意識をなくしていくことです。

不登校のご家族へ

教室の写真

天才の芽を摘まないで下さい

子供が不登校になった。それは一大事です。すると多くの親御さんは、子供がレールから外れたと思っていまいがちですが、それは間違いです。不登校は、突然起こりません。蓄積が、何らかのきっかけで表面に出たのですから、安易には解決しがたいのです。事実を受け止めてください。

学校という社会の中で、反応しているものこそがその子の訴えであり主張です。引っ掛かかっている何かがもの凄く大事なのです。ですから、矯正せずに耳を傾けて下さい。天才の芽を摘まないで下さい。学校は、教わるところではありますが、全て受け入れる必要はないのですよ。下手(したて)に出る必要などさらさらないのですよ。まして親がビビってたら、子供の不信感は増し混乱します。

子供が見ているのは、親の毅然さ、正直さです。学校など、自分との比較確認の場に過ぎません。特異性を扱えないのが学校、その性質上、個性が埋もれてしまわないよう子どもの声に耳を傾けてください。

いかに子どもの味方でいられるか、子どもを守れるか。第一に親の真価が問われるでしょう。更に、子どもだけの問題というよりは、家族の問題として向き合えるかどうかにもかかってきます。お子さんが小さければ小さいほど、先ずは親御さんのカウンセリングをお勧めします。