怒りの解決に向けて
あなた自身の持つ怒りの構造について、少し理解できたでしょうか?
このページでは、怒りの解決に向けどう向き合っていけばいいのか、次ページでは、より具体的な「怒りのワーク」について記して行きますので、合わせてご覧ください。
怒りと向き合う前にやっておくこと
1、覚悟を決めること
怒りとの対峙はコンプレックスにも触れていく作業です。これは避けては通れない大事なところとなりますが、この段階に入るとカウンセリングに対する積極性が減る方は多いです。ますます核心に触れ、都合の悪いことを突きつけられるために、わざわざお金を払いたくないですからね。
図星を刺されたり指摘されたりすると、激怒したり或いは何も話さなくなったりと、向き合うことに躊躇・抵抗を示される方は多く、会話の現場に二度と戻らない方もおられます。
ですが、そういう反応こそが既にあなたの中に持つ怒りに触れているということ。そこを向き合うのです。そこで諦めずに、その気持ちの話をするのです。
怒りについて対話するということは、敢えてそれに挑むだけの価値のあることです。またそうする他に楽になれる道はありません。何度でも何度でもぶつかりながら、何十年もの地層のように積み重なった層に亀裂を入れていくのです。先ずは怒りに取り組む姿勢を固めましょう。
2、逃げ道をふさぐこと
怒りとの対峙をしていく中で意識すべきことは、自分の長年の人生の中でこしらえた都合の良い誤魔化しに気付き、それをできるだけ絶つことです。
甘やかしてくれる人の存在だったり、アディクションだったり、十人十色の方法で自分の心のバランスを保ってきているはずです。それらに気づき、一つ一つ絶って行くことで、本当は感じていたはずの気持ちに触れやすくするのです。
少しのお酒なら大丈夫だろう、今日だけはいいだろうという考えが、本当に感じたい自分の奥底の気持ちを見えなくするばかりか、シラフに戻ったときはまた振り出し。その繰り返しから抜け出るのです。初めのうちはどうしても難しいのですが、誤魔化していない自分でいる時間が怒りと向き合うのを加速させます。そして誤魔化さない気持ちに触れ始めるごとに、霧が晴れたようにクリアーな自分の存在を感じることができてきます。
3、自分の甘さを認めること
親からきちんと叱られずに育った子が、まともな大人に育たないのは容易に想像がつくでしょう。甘やかされてきたことも放っておかれたことも、どちらも不遇、しかしそこには自分の失敗や挫折に無関係というのか無頓着というのか、はたまた正当化したり誤魔化したり、そんなことが無自覚ながらも起きてしまっているのです。
また、甘やかされていたから、逆に放っておかれたから、という「親のせい」にできてしまう甘さもあります。甘いといわれ激怒したり、またまた「死んでやる」と息巻いても、社会で通用しない現実や対人関係での支障は認めざるを得ません。
社会で通用できるようになることが目的ではありませんし、甘い自分を改善することが目的でもありません。ただ、してこなかったツケは確実に溜まってしまい、悔しいけれども、周囲から見れば甘いと認識されてしまっていること、自分は都合の悪い現実から目を背けてきたと自覚することです。
向き合う中で必要なこと
1、ジャッジせず言葉にすること
自分の中の怒りを適切に処理するには、その不満を言葉にして表明できることですが、不満を言葉に出せるには、まず不満の気持ちに対する肯定感を持つことです。これは「自分は間違ってない!」というふうに怒りを正当化することではなくて、「怒りたくなる自分」を理解しジャッジしないこと。
そのジャッジなしの自分でいられるとき、人は自分の「正当性」や「言い訳」が口に出せるのでしょう。これを言葉にするなら、「だって…」という言葉を使いたくなるのではないでしょうか。この言葉、案外、怒りを抱えつつも我慢している人ほど使えないのではないでしょうか?
「だって、そうでしょ」「だって、言われたとおりにやったもん」「だって、できないんだもん」「だって、言えなかったんだもん」「だって、しょうがないじゃん」「だって、わかんなかったもん」…どうです?自分の至らなさを認めつつも、キレずに不満を言葉にできているじゃないですか。
ほら、子どもが起こした癇癪に、大人がちゃんと目線を合わせて聞いてくれたら、言いますよね。こういう言葉や自尊感情の積み重ねが、怒りの爆発を散らしてくれ、落ち着いて自分の気持ちを考えさせてくれるのです。
稚拙なやり取りに見えるでしょうか?それでもあなたたちにとってはこのシンプルな関係がなく、その中で正しく叱られ正しく教わることができていないのです。先ずは自分の中で言葉にして言ってみましょう。
2、社会で生きる
あなたが自分の不満をきちんと言葉で説明できる時、そこには行き場のない抑えきれない怒りは存在せず、自棄や癇癪を起こす必要はなくなっています。自分の感情から逃げずに、その気持ちがなんなのかを相手に伝えること、これがコミュニケーションです。
「だって…」から「僕はこう感じました」「私はこうされたくありません」…時には感情的に怒ることはあります。でも今までの抑えられない怒りではなく、自分の自尊感情として怒っているのです。
そして、「お願いします」「分かりません」「助けてください」…これらが社会の中で人と関わる上での、自分への責任と、相手への尊重でしょう。
怒りを理解し、順序良く段階を踏んでいけば、必ず社会の中でのあなたを確立することは可能です。諦めてはいけません。
怒りを抱える全ての人へ
怒りを抱え、その怒りを抱える自分に恐れおののきながら、じっと息を凝らしていらっしゃる方は多いと思います。あなたたちの中で「怒り」とは、自分と他人を滅ぼすものだと思っていらっしゃるのでしょうか。
怒りを持ち合わせていない人間はいません。怒るという感情は、人の持つ一番最初の感情であり、一番純粋な心の訴えです。私はこの感情がとても好きです。
火のないところに煙はたたないと申しますが、怒るにもそれなりの火種があります。その火種こそがあなたたちの尊厳にまつわる、どうしても許せない大事な灯火です。どうか怒りを嫌わず、抑え込まず、きちんと怒りの言い分に耳を傾けてください。
側で見守るあなたへ
人は、突然豹変することはありません。突然に見えても、それが噴出するまでには時間がかかります。言い換えれば、溜まっていたものが堪えきれず溢れ出たに過ぎません。(鬱も同じです。不登校も同じです。そして欝や不登校になられる方の心の中にも怒りはあります。)
ただ、怒りの表現によっては、怖くなってその場にいられなくなったり、あなたまでイラつき喧嘩になることもあるでしょう。どうか落ち着いてください。
そしてそれが続くなら、あなたが対応するのを止め専門家を探してください。以下、側にいるあなたへのアドバイスを記します。
・怒りを抱える相手があなたの他意のない言動にキレる場合、ほぼ100パーセント相手の問題だと理解すること。
・キレている最中の相手への投げかけは不毛であり何を言っても伝わらない。
・その時の発言と吹き出る怒りは、我慢してきた過去の場面と過去の相手に対するもので、それがあなたのその瞬間のフレーズと投影されたものである。
・だからと言って、思い切り飛んでくる怒りと対峙するのにはエネルギーがいる。頑張らず、時に距離を持つことが必要。
・当人の怒りが過去の我慢からくるものであるなら、出てきた怒りを安易に抑えこんだり、穏やかになれるよう頑張らせるのは逆効果。
・相手が暴れるなど色んな行動を取っても、できるだけあなたは言葉で伝えること。また相手にも、言葉にすることをその都度何度でも伝えること。
・暴力や身の危険を感じたら迷わず逃げるか通報すること。自分の為であるが、しいては相手の為である。
・お互いに深刻になるのも致し方のない、ただ、長く時間を掛けるほど相手を信じられるか。それができなければ、安易な気休めはしないこと。
・あなたが苦しいとき、我慢せず、あなたの回復を優先させること。
以上、どうか無理をされませんように。
より具体的に怒りと向き合う内容を記した「3怒りのワーク」のページもぜひご覧ください。