健全とは
子どもを健全に育てたい
子育てに正解などないと申します。育て方に正解はなくても、健全に育ったかそうでないかは明らかにあるでしょう。それは大人(社会人)になったころ、自分が自立できているかどうかが目安と考えます。
健全とは何か、それは、その子が自立していく過程において、妨げのないことです。特に、親の妨げのないことが第一の条件。親の妨げのある・なしで子どもの自立に影響があるのなら、少なくとも妨害より支援の立場でいてほしいもの。しかし、親は時に盲目的になることがあり、「良かれと思って」が正反対の結果を招くことも多いのです。
ここでは、「子どもの自立」を念頭に据えた子育てについてまとめました。
自立とは
自立と自律
多くの人はその親の手によって育てられ、その親から独り立ちするために知識を高め、経験を積みます。しかしその前にたった一つ必要なことがなされていないと、その巣立ちは果てしなく難しく、ただ反対に、その必要なことさえあれば独り立ちし、さらに自分の人生、如何様にもできます。
そのたった一つの必要なこととは、精神的に支配されない状態でいられること。即ち、それが自立の一歩。「自立とは他からの支配や手助けなしに存在すること」であるからです。
さて、「自立」の同義語に「自律」があります。自律とは「自分の建てた規律に従って行動すること」です。世の中の規律を学び従えること。自分で規律を創り行動できること。それらはもの凄く大事なことです。でもその前に、自分の精神が誰からも支配されず自由でいられないと、世の中の規律に縛られ、また、自らの決定で規律を創り上げること自体も極めて困難となるでしょう。
「自律」の前に「自立」あり。それではじめて世の中における共存や尊重が生まれるのではないでしょうか。
子育てのはじまり
子供を育てるという自覚
子育てのはじまりは受精したときから。生物学的に言うなればそうなるでしょうが、子育ては、その親が親としての自覚を持った時からでしかはじまりません。母親よりも、父親としての自覚にばらつきがあることは、想像していただければ何となくお分かりかと思います。
ですから、その自覚がなければ、その子供は永遠に親に育ててもらえる経験はなく、また、その自覚さえ芽生えれば、子供が40歳、50歳になっていても育てることができるのです。親子が生きていて、その親に親としての自覚が生まれたとき、どんなに子供が傷つき、歪み、苦しんでいても、取り返せるものは必ずあります。もし今、あなたのお子さんが精神的に病んでいたら、親としてのあなたに出来ることは必ずあります。
親としての自覚とは
支配者ではなく責任者
親という自覚、その正しい認識がなく、ただ生んだら親だと名乗り、自分のエゴを子どもに押し付けている人は沢山います。親、それは子供の責任者であって支配者ではない。親と子は、運命の出会い。されど、親は子の所有者ではなく縁ある他人であれ。
もし子どもを観察して、「育っていないな」「自立してないな」と思うのであれば、それは、その親が親としての自覚を持てずに「育てられなかった」からです。つまり子どもは誰でも、正しく育てれば育つのです。
親としての役目
親が子育てを語るとき、一番大事なことは誤魔化さないことです。それについては後で触れるとして、まずは子どもの成長と親の役目について書いてみたい思います。
生後1歳頃まで
子どもは感じ、受け取っている
胎児から生後1歳くらいまでのお乳とオムツの時期、一番の親子密着スキンシップの頃です。母子一体から母子密着を経て、一人の人間として離される第一段階。この世界に興味を抱くか、そうでないかの分かれ目で、親からの愛着の有無が試され、それを子どもはダイレクトに感じ受け取ります。
乳児にとって、お尻が濡れた不快やお腹が空いた不快を取り除いてもらえる心地よさは、人間の本能として持っている恐れや怒りを和らげ、自分が守られている安心感と自信を感じることができます。また同時に、親への信頼感を持つことができます。親がいなくなると泣いたり、あやされることで時には満足で得意な感情も覚えたり、こうして愛情というものを育むことができます。逆を言えば、あまり手を掛けて貰えなければ、だんだん泣かなくなって情緒の表現がなくなる。当たり前のことですね。
この頃の親の役割とは何か。それはオムツの交換やミルクの準備より、子どもの呼びかけ・語りかけを「受け止められること」。この基本がその後の人間一般に対して、基本的に信頼できるようになり、自分の発達課題に安心して取り組む力が持てるのです。
3歳頃まで
子どもの思考パターンが決まる
人の個性の大部分は3歳までに形成されるといいます。新生児の脳は成人の30%程度の重さで、3歳で70%にまで成長すると言われています。つまりそれは、神経回路のネットワークが形成されることで豊かな感情が育まれ、大部分の個性の形成が行われる時期。中でも自己肯定感は、親の対応による脳への刺激が大きく影響を与えます。
そのために必要な親の役割は、我が子にどれだけの興味を示せるかです。親の興味のある・なしで子どもの思考パターンが肯定的か否定的かに決定づけられるからです。興味を持つということ、それは「ちゃんと聞く」ということです。ちゃんと聞いた後で、ちゃんと褒め、ちゃんと叱る。それがちゃんと大事にされるということであり、そういう自分を大事にしてもらえた記憶が、我慢するということを育てます。
褒めることと叱ること、その両方が子どもを育てます。3歳までのこの関わりのある・なしは特に重要です。この関わりがなかった子どもは、自分の意思に肯定感は持てず、自分はいらない子とまで認識してしまい、そのレッテルを剥がすかのような行動に終始する人生をスタートさせてしまうのですから。
このページは「良い子」に育てるための育児本ではありません。しかし自立した子どもに育つため必要なことを書いています。その中でも3歳までの子育て、うんと大事です。でも訳あって子どもに関われず、関心を持てず、寄り添えなかった方もおられるでしょう。ここまで読まれて、「ああダメだ、私の子育ては間違っていた」と悲観する前に、事実を受け入れましょう。大人になった子どもに詫び、許しを請うのではなく、誤魔化さずにいられることが先ずは大事。もし親の自覚を持てたとき、子育ての再生は可能です。
10歳頃まで
多くの経験・体験をさせる
幼稚園・小学校と、家庭から社会へ第一歩の時期。3歳までに健全に育てられた子どもとそうでない子どもの差は、明らかです。それは自分への肯定感の有無であり、自分が親から守られているという安心感の有無の差。毎日が楽しいか、ビクビクして周囲に合わせるだけの日々か、その差は大きいです。
この時期、知識の学習を初め、共同生活のルールや友人との関わりなど、多くの経験・体験できることが何より大事。しかし、自分に肯定感の持てない子どもはその体験に消極的で、親に対しても、自分の気持ちや日常を話すということは少ないでしょう。だって守られている安心感がなければ行動に躊躇するし、親への信頼感もないですものね。
親の役割、それは子どもの変化を見逃さず、裁かずに今一度、話を聞くことです。善悪の教えはもとより、「子どもの体験を見守る」姿勢が大事です。子どもの体験を奪ってはいけません。友達同士の比較や学校社会の規律の中で、子どもの気持ち・個性を尊重できるのは親しかいないのですから。何でも話せる「親子のコミュニケーション」があることが鍵を握ります。
15歳頃まで
自分で生きて行ける力が備わる
思春期と呼ばれる頃、親の役割は一貫した態度を示せることであり「ブレないこと」が大事です。小学校の高学年くらいになると、友人同士の付き合いが多くなりますね。塾や習い事もそうですし、子供同士の遊びや行動も増えるでしょう。中学に入れば、親子でお出かけというのも相当減りますよね。
子どもから大人に変わっていくこの頃は、心も身体もブレながら、変化とともに「自分」というものを探しています。親や社会に反抗し始めるのも、成長期ならではの姿。紆余曲折しながら、それまでの親あってこその姿から、ほんとうの自立に向け脱皮しようとしています。
異性に目覚め、親を避けたり反抗したり、友人関係に敏感になったり夢や進路に悩んだり、これら不安定に見える状態は、思春期における正常な状態です。親は余裕を持ってブレないこと、毅然とした態度でいること。親にとっては大切な子どもだという認識を持ちながら、でも言動としてはひとりの大人として扱う。つまりは、子どもに本気になることが大事です。
このくらいまでの親子関係が健全なら、それからの高校生活や進路、その先の人生について、自分の頭で考え決められる生きる力を持てるでしょう。
社会で育つ
学校から社会 次のステージへ
15歳頃までに、親から守られ親から本気になられ、自己肯定感の上で体験を積めた子どもは、自己責任というものを獲得できます。それは、自分の体験を見守られながらも、本気でぶつかりあってこられた親子こそであり、そこからは自立した者同士、人間同士の付き合いになるでしょう。
正しく育てれば、人はこのくらい(15歳頃)で自立できます。しかし何度も言いますが、「自立」とは誰からも支配されずに存在できること。それがあって、その上で自分の志(こころざし)が立てられ、自分の人生について本気で考え悩むことが出来るのです。義務教育の終わりは、高校生でも自己責任を問われます。進路のこと、友人のこと、恋愛のこと、自分の内面のこと、それらの殆どが社会の中での自己確認です。
社会は人を育ててくれます。良くも悪くも人を変えます。しかし、親からきちんと育てられた子どもは、社会の中でもみくちゃにされても、自分の尊厳を守り、自分の幸せの方向を見つけることが出来ます。社会は甘くない、けれども社会は自分の姿をきちんと映し出してくれます。親は責任者から、理解者となれ。
子育て中の親御さんへ
生まれ持った気質
ありのままを認められるか
子育てをするに当たり知っておくべきことがあります。それは、子どもには、それぞれ生まれ持った気質があるということ。親からの遺伝でも育て方でもなく、確かに生まれ持ったものとしてです。
親や環境など及ばないところで、その子特有の感じ方、ものの見方、考え方があります。何でもすーっと出来てしまう子もいれば、頑張っても出来の悪い子もいるでしょう。行動が先に立ってしてしまう子もいれば、ずーっと考えてる子もいます。運動オンチの子も、勉強オンチの子もいます。何でも疑問に思ったり、みんなと同じじゃ嫌だったり、勝気だったり、またその反対もあるでしょう。
兄弟姉妹、同じ親から育てられても相容れない関係が生じることもあります。多くの親は、違いすぎる価値観の子どもほど、たしなめようとするでしょう。だって、理解できないのですから、親にとっても一大事。子どもが困らないようにと必死に、親の知る範疇(はんちゅう)に納めようとするでしょう。
そうですね、親が悪いとか子育てが間違っているとか、そういう話ではないかも知れません。しかし、その子どもは確実に苦しむことになるでしょう。それらみな、親のエゴ、親の不安、親の好き嫌いです。子どもの特質をいじっては、その子の自立はありません。
生まれつきの殺人鬼も、凶悪犯もいません。それらはみな、長い間の鬱屈(うっくつ)、歪みの結果なのですから。
誤魔化さないこと
無理も努力も要らない
子どもが健やかに育つかどうか、そのアイテムにたくさんの「お金」とたくさんの「学歴」はいりません。そしてたくさんの「我慢」「努力」もいりません。親と子がいて、おのおのが自分の気持ちを誤魔化さずにいることです。
子どもに興味が持てない、側にいてあげられない、十分なことをしてあげられないなど、親としてそれらを恥じ、隠し、頑張り続けるのもいいでしょう。しかしその努力が苦痛なら、それらは全てお子さんに伝わります。無理をするより、それがうちの今であってそれがうちの親子関係なのだと明かされるほうが、遥かに意味があるでしょう。だってそれらは、真実であり本音ですからね。
お子さんからは、恨まれたり憎まれたりするかも知れませんね。しかし親が誤魔化さず明かした分、お子さんはきちんと受け入れざるを得ず、自立に向くでしょう。
親から興味・関心を持たれずに健やかに育てなかった子どもが、その親からその事実を告げられることは「絶望」ではなく「希望」です。何故ならば、自分の心の闇には理由があり意味があったと証明できるからです。ちゃんと腑に落とすことができ、自分が正しく育つ方向へ向かう道が、ようやく解るからです。
あなたはあなた自身の芽を
まずはあなた自身を大事にできること
今、子育てがどの辺りにいようとも、それまでのお子さんとの関係に、「たら・れば」はありません。あなたとお子さんとの必然でしかありません。
あなたの気質、境遇からくる価値観が、お子さんの気質と科学反応を起こし、それがお子さんの価値観を形作る。だからもし、お子さんが苦しんでいるなら、それはあなたの封印した煩悩(ぼんのう)の種が、お子さんの中で芽吹いているのです。
育てたいのは子どもの芽です。その芽は、いじらないで見守るだけで育ちます。子育て中のあなたが、自分の子どもに興味がなく子育てに悩んでいたら、無理やり親になろうとしないでください。自分の子育てを悔い自分を責めるより、先ずは自らが育つためのことを考えてください。子どもの前にあなたが自立し、自分の人生を歩みだすこと。子どもの前に立つのはその後です。
あなたはあなたの芽を育ててください。あなたが健やかでいられることが一番の近道。健やかなあなたから健やかなお子さんが育つのは自然なことですから。